カルダム・サクスコブルクゴツキ

カルダム
Кардам
サクスコブルクゴツキ家
タルノヴォ公カルダム(2001年)

称号 タルノヴォ公
出生 (1962-12-02) 1962年12月2日
スペインの旗 スペインマドリード
死去 (2015-04-07) 2015年4月7日(52歳没)
スペインの旗 スペインマドリード、サンチナーロ大学病院 
埋葬 2015年4月8日
スペインの旗 スペインマドリード、サン・イシドロ墓地
配偶者 ミリアム・デ・ウングリーア・イ・ロペス
子女 ボリス
ベルトラン
父親 シメオン2世
母親 マルガリータ・ゴメス=アセボ・イ・セフエラ
宗教 キリスト教ブルガリア正教会
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カルダム・サクスコブルクゴツキブルガリア語: Кардам Сакскобургготски, ラテン文字転写: Kardam Sakskoburggotski, 1962年12月2日 - 2015年4月7日)は、旧ブルガリア王室の成員。ブルガリアの国法に基づいて立太子されたことはないが、儀礼上はしばしばブルガリア王太子として遇された。またブルガリア王族としてタルノヴォ公(英語版)儀礼称号を用いた。スペイン語名はカルダム・デ・サホニア=コブルゴ=ゴータ・イ・ゴメス=アセボKardam de Sajonia-Coburgo-Gotha y Gómez-Acebo)。祖父はブルガリア王ボリス3世、曽祖父にブルガリア王フェルディナントとイタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世、高祖父にザクセン=コーブルク=ゴータ公子アウグスト、イタリア王ウンベルト1世、モンテネグロ王ニコラ1世がいる。

生涯

ブルガリア国王シメオン2世とその妻マルガリータ(英語版)の長男としてマドリードで生まれた。名は第一次ブルガリア帝国カン(皇帝)カルダム(英語版)にちなんで付けられた。

リセ・フランセ・ド・マドリード(英語版)に通った後にマサチューセッツ州クラーク大学(英語版)哲学国際経済学を専攻した。卒業後はペンシルベニア州立大学に進んで農業経済学を学び、修士号を取得した。

1989年、多国籍農工業企業「ファウンテンヘッドグループ」にブエノスアイレスで働き始め、バージニア州に移り住んでアグリビジネス企業「GICグループ」に勤務した。その後は長年にわたってスペインの通信会社「テレフォニカ・モビーレス・インテルコンティネンタル」で総合マーケティングディレクターとして働いていた。

1996年7月11日にミリアム・デ・ウングリーア・イ・ロペスと結婚し、2男を儲けた。

  • ボリス(英語版)1997年 - )
  • ベルトラン(中国語版)1999年 - )

2008年8月15日、妻ミリアムと同乗中にマドリード近郊のエル・モラル(スペイン語版)で木に追突して転覆する自動車事故を引き起こした[1]。重度の外傷性脳損傷、腕部や背骨の複雑骨折、昏睡状態などの重症に陥り、フアン・カルロス1世の計らいによりヘリコプターでマドリードのドセ・デ・オクトゥブレ病院(スペイン語版)に運ばれた。サンチナーロ大学病院に移された後、12月に退院してテオカチェイラス(スペイン語版)にある自宅で療養を続けたが、2010年夏にマドリードに移った。

2015年4月7日、事故のせいで長年患っていた肺感染症が悪化してサンチナーロ大学病院で死去した[1]。52歳没[1]。遺体はマドリードのサン・イシドロ墓地(スペイン語版)に葬られた。

出典

  1. ^ a b c “Kardam, son of Bulgaria’s last king, dies at 52”. Sofia Globe. (2015年4月7日). http://sofiaglobe.com/2015/04/07/kardam-son-of-bulgarias-last-king-dies-at-52 2015年4月11日閲覧。 

外部リンク

  • Н.Ц.В. Княз Кардам Търновски « Н.В. Цар Симеон II(ブルガリア語)(英語) - シメオン2世公式サイトの紹介ページ。
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