カール・ラール

カール・ラール
Carl Rahl
誕生日 1812年8月13日
出生地 オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン
死没年 (1865-07-09) 1865年7月9日(52歳没)
死没地 オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン
墓地 ウィーン中央墓地
芸術分野 装飾画、歴史画、肖像画
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カール・ラール(Carl Rahl、または Karl Rahl、1812年8月13日 - 1865年7月9日)は、オーストリアの画家。装飾画、歴史画、肖像画を描いた。

略歴

ウィーン中央墓地にある墓

ウィーンで生まれた。父親のカール・ハインリヒ・ラール(ドイツ語版)は版画家である。ウィーン美術アカデミーで学び、19歳のとき、アカデミーの留学奨学金のついた賞を受賞し、ミュンヘンシュツットガルトハンガリーを旅し、1836年にイタリアを訪れた。イタリアに1843年まで滞在し、ヴェネチアローマの画家たちに学んだ。その後パリにも滞在した。生涯を通じて共和主義の支持者であり、ハインリッヒ・ハイネや、ロシアのアナキスト、ミハイル・バクーニンや革命指導者のゲオルク・ヘルヴェークとも親交をもった。1846年から再びローマで活動した後、デンマークで働き、スウェーデンやノルウェーも旅した。

1850年にウィーン美術アカデミーの教授に任じられるが、すぐに政治的な理由で解任された。私塾を開き、人気を集め多くの画家がラールから学んだ。ラールから学んだ画家には、タン・モールアントン・ロマコセーケイ・ベルタランらがいる。弟子のエドゥアルト・ビッターリヒ(ドイツ語版)アウグスト・アイゼンメンゲルと、聖三位一体ギリシャ正教会(ドイツ語版)トデスコ宮殿(ドイツ語版)などの建物の装飾画の仕事をした。


作品

  • 「マンフレーディ(13世紀のシチリア王)」
    マンフレーディ(13世紀のシチリア王)」
  • マンフレーディの死体を見るカルロ1世
    マンフレーディの死体を見るカルロ1世
  • リケルの娘を助けるモーゼ゙
    リケルの娘を助けるモーゼ゙

カール・ラールに学んだ画家

参考文献

  • "Rahl". Meyers Konversations-Lexikon (in German). 13 (4th ed.). 1890. p. 556.
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