カール16世グスタフ (スウェーデン王)

カール16世グスタフ
Carl XVI Gustaf
スウェーデン国王
カール16世グスタフ(2018年)
在位 1973年9月15日 - 在位中
即位式 1973年9月19日
ストックホルム宮殿
首相

全名 Carl Gustaf Folke Hubertus
カール・グスタフ・フォルケ・フーベルトゥス
出生 (1946-04-30) 1946年4月30日(78歳)
 スウェーデンストックホルム近郊ソルナ、ハーガ宮殿
配偶者 シルヴィア・ソマラート
子女 ヴィクトリア
カール・フィリップ
マデレーン
王朝 ベルナドッテ王朝
父親 グスタフ・アドルフ・アヴ・スヴェーリエ
母親 シビラ・アヴ・サクセン=コーボリ=ゴータ
宗教 キリスト教スウェーデン国教会
サイン
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スウェーデン王室

カール16世グスタフ国王
シルヴィア王妃

  • ヴィクトリア王太子
    ヴェステルイェートランド公爵ダニエル王子
    • エステルイェートランド公爵エステル王女
    • スコーネ公爵オスカル王子

  • ヴェルムランド公爵カール・フィリップ王子
    ヴェルムランド公爵夫人ソフィア

  • セーデルマンランド公爵アレクサンダー王子
  • ダーラナ公爵ガブリエル王子
  • ハッランド公爵ユリアン王子

  • ヘルシングランドおよびイェストリークランド公爵マデレーン王女

  • ゴットランド公爵レオノール王女
  • オンゲルマンランド公爵ニコラス王子
  • ブレーキンゲ公爵アドリアンネ王女

  • ビルギッタ王女

カール16世グスタフスウェーデン語: Carl XVI Gustaf、カール・グスタフ・フォルケ・フーベルトゥス・ベルナドッテ、スウェーデン語: Carl Gustaf Folke Hubertus Bernadotte1946年4月30日 - )は、ベルナドッテ王朝第7代のスウェーデン国王(在位:1973年9月15日 - )。

経歴

出生

幼少期のカール・グスタフ

スウェーデン前国王グスタフ6世アドルフの長男グスタフ・アドルフと、ザクセン=コーブルク=ゴータ公カール・エドゥアルトの娘シビラの第五子(長男)として誕生した。

1946年6月7日に王立教会でウプサラ大司教であるアーリン・エイデムによって洗礼を受け、「イェムトランド公」の称号を与えられ、デンマーク王太子夫ノルウェー王太子オーラヴ、オランダ王太子ユリアナ、国王グスタフ5世、フリードリヒ・ヨシアス、王太子夫フォルケ・ベルナドッテ、マリア・ベルナドッテが代父母となった。

王太孫時代

1947年1月26日、父グスタフ・アドルフが飛行機事故で薨去したため、祖父に次いで王位継承権第2位となった。1950年にグスタフ6世アドルフが高齢で国王に即位した時、王位継承権者であるカール・グスタフはまだ4歳の幼児だった為、グスタフ6世アドルフを最後に君主制廃止することが議会で議論された。しかし共和制への移行は否決され、正式にカール・グスタフが王太孫となる事が決まった。

高校卒業後は、スウェーデン軍において2年半にわたって教育を受け、1968年にスウェーデン陸海空軍大尉に任官された。その後は、ウプサラ大学ストックホルム大学において、歴史学社会学政治学税法を学んだ。

大学での教育を修了した後は、将来の国王としての役割を果たす事に備える為、裁判所制度や社会団体、労働組合業界団体など幅広い分野への研究に従事し、特に議会や行政外交に関する研究には非常に熱心に取り組んでいた。

他にも、国際連合国際開発協力庁におけるスウェーデン代表の一員として過ごしたほか、ロンドンでは銀行やスウェーデン大使館フランスでは自国の商工会議所アルファ・ラバルの現地法人の工場などで体験就労を行った。

即位

1973年9月15日に祖父の後を継いで国王となり、4日後の9月19日ストックホルム王宮で即位式が執り行われた。翌年のスウェーデン憲法改正ですべての統治権力を喪失し、儀礼的な国家元首の地位となった。

性風俗店通いスキャンダル疑惑

2010年11月、カール・グスタフが不倫性風俗店に出入りしていたとする内容の暴露本“Carl XVI Gustaf – Den motvillige monarken”(カール16世グスタフ-嫌らしい君主)が出版され騒動となったが、プライバシー重視の国柄もあって騒ぎは一段落していた[1]

しかし2011年5月、証拠とされる裸の女性2人と一緒に撮影した写真をユーゴスラビア出身のギャング・ミレ・マルコヴィッチを仲介して買い取ろうとしたことが発覚してスキャンダルが再燃。カール・グスタフ本人は、性風俗店への出入りともみ消し工作への関与を否定し、「退位するつもりはない」と表明した。これにより、地元メディアでは「国王の信頼は失墜した」として退位を求める論調を出し[2][1]、2011年半ばによる世論調査ではスキャンダル再燃前と比較して国王支持派は64%から44%に減少した[3]

2011年12月、スウェーデンの大衆紙・エクスプレッセン[4]が、証拠とされる写真は1976年にシルヴィア王妃とともにテレビ番組に出演する国王の画像[5]から盗用し性風俗店内の裸の女性の写真にデジタル修正を施した[6]と証明し、マルコヴィッチは以前にもセレブを強請するためにこれと似た行為[注釈 1]をした事がある[7]と報じた。

スウェーデンの法律では売春は合法となっているが、買春は違法となっている[8][1]

新型コロナウイルス感染

2021年、新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い、コロナワクチンの接種を3回(ブースターショットも含む)受けたが、2022年1月、シルビア王妃とともにコロナウイルスに感染して発症。王室は感染に関して「夫妻の症状は軽微で、健康状態は良い」と発表している[9]

人物

カール16世グスタフ夫妻
  • 長年、ディスレクシアを抱えているのではないかとの噂が流れていた。とあるジャーナリストは、国王が継承文書に署名する際、自身の名前を誤って綴った事と、1973年ファールン銅山を訪問し、岩壁に署名をする際に、自身の名前を“Cal Gustf”と書いた事に言及した。これらの事に関しては、シルヴィア王妃が1997年に出演したテレビ番組のインタビューの中で正式に認めている。同時に、夫妻の子女達も軽度のディスレクシアを抱えている事も公表している。
  • 1975年6月25日から1977年2月9日までの間、イギリス海軍の名誉元帥を務めていた事がある。
  • 毎年開かれるノーベル賞やポーラー音楽賞の授与式では、プレゼンターとしての役割を務めている。
  • 大変なスポーツ好きで、オリンピックノルディックスキー世界選手権など頻繁にスウェーデンチームの応援に駆けつける事で知られている。
  • 自動車にも深い造詣があり、複数のポルシェ・911のほか多数の車を保有している。ちなみに、結婚前の夫妻が最初にマスコミによってスクープされた写真は、2人でポルシェ・911の座席に座っているところだった。
  • 2005年の夏に、ノーショーピングで自身が運転する車が事故に巻き込まれ、軽傷を負ったことがある。
  • 日本への訪問は16回を数え、皇室との親交も深い。初訪問は王太孫時代の1970年日本万国博覧会を視察した[10]。即位後1980年に国賓として訪問[11]1989年2月、シルヴィア王妃とともに昭和天皇大喪の礼に参列。1990年には2度訪問し、3月には旭川国際バーサースキー大会出席、11月にはシルヴィア王妃とともに明仁天皇の即位礼正殿の儀に参列した。2007年3月25日にシルヴィア王妃とともに国賓として訪問し、翌3月26日には明仁天皇・美智子皇后との晩餐会に臨み、国立科学博物館太田記念美術館ソニーの本社などを視察したほか、川越市長崎市を訪れた。2018年4月には日本スウェーデン国交樹立150周年記念行事のため公式実務賓客として訪問した[12][13]。2019年10月にはヴィクトリア王太女とともに徳仁天皇の即位礼正殿の儀に参列した[14]
  • 移民に対する偏見や迫害が深刻な社会問題となった際は、年末のテレビ演説の中で、現王室のベルナドッテ家がフランスの出身であることに触れ、「私も移民の子孫ですよ」と語り、問題の沈静化に一役買った。
  • 2010年11月、カール・グスタフの性風俗店通いや、1990年代にダンスミュージックグループ“Army of Lovers”の創設メンバーである歌手カミラ・ヘネマークとの不倫疑惑を指摘する本がスウェーデンにて出版されたが[2]、本の情報源の信頼性・正確性への疑問やプライバシーを重視する国民性により[15]、いずれの疑惑もデマにずぎないとみなされている(性風俗店通い疑惑は後にスキャンダルが再燃したが、無実であると証明できた)。
  • 新王位継承法による長子相続制についてはかなり強い反対意見を持つ。インタビューの際、「息子を継承者にしたい」「大部分のスウェーデン人は男王が王位を継ぐことを望んでいると確信する」など、男尊女卑とも取られる発言をしており、女性の王位継承に反対しているとも見られている。しかし真の反対理由は「遡及適用する法は愚の骨頂」というもので、これは経過措置を定めず継承法改正前に生まれた王族にまで遡及適用し、すでに法定推定相続人であったカール・フィリップ王子が出生時からの地位を失ってしまう事に対する不満であった。国王の意見に賛意を持つ国民もいるが、「時代遅れの見解」「退位すべき哀れな人」など反対意見を持つ国民もいる[16]
  • 父グスタフ・アドルフ王子の死については7歳になるまでに知らず、2005年の演説でこの事に対する気持ちを表明した。

家族

即位前年の1972年ミュンヘンオリンピック観戦の際、現地でカール・グスタフ王太孫の世話を担当したのがジルフィア・ゾマラート(母方はブラジル人)、すなわちシルヴィア王妃だった。これをきっかけに交際が始まったが、当初は年上でドイツ人の一般市民ということもあり、結婚にこぎつけるのは大変なことであった。 1976年3月12日に婚約を発表[17]、3か月後の6月19日に2人は晴れて結婚する事となった。この日の披露宴では、スウェーデンを代表するポップ・グループ“ABBA”のメンバーも参列し、新曲だった『ダンシング・クイーン』を初演奏した。この曲は翌年、世界的な大ヒット曲となる。

1982年には、公邸をストックホルム郊外のドロットニングホルム宮殿に移し、それまで住んでいたストックホルム宮殿は公務の場とする事となった。

また夫妻は、次の1男2女をもうけた。

  • ヴィクトリア(1977年 - )王太子
  • カール・フィリップ(1979年 - )
  • マデレーン(1982年 - )

1980年1月1日からは、長子相続制に基づいて、ヨーロッパでは初めて男女にかかわらず最初に出生した子供に法定推定相続人の権利が与えられることとなり、2019年現在の王位継承順位第1位は長女のヴィクトリア王太子であり、1979年12月31日まで王太子であった長男のカール・フィリップ王子は第4位となった(第2位・第3位はそれぞれヴィクトリア王太子の子であるエステル王女とオスカル王子)。

系譜

カール16世グスタフ (スウェーデン王) 父:
グスタフ・アドルフ (ヴェステルボッテン公)
祖父:
グスタフ6世アドルフ (スウェーデン王)
曾祖父:
グスタフ5世 (スウェーデン王)
曾祖母:
ヴィクトリア・フォン・バーデン
祖母:
マーガレット・オブ・コノート
曾祖父:
アーサー (コノート公)
曾祖母:
ルイーゼ・マルガレーテ・フォン・プロイセン
母:
ジビラ・フォン・ザクセン=コーブルク=ゴータ
祖父:
カール・エドゥアルト (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)
曾祖父:
レオポルド (オールバニ公)
曾祖母:
ヘレーネ・フリーデリケ・アウグスタ・フォン・ヴァルデック=ピルモント
祖母:
ヴィクトリア・アーデルハイト・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク
曾祖父:
フリードリヒ・フェルディナント (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公)
曾祖母:
カロリーネ・マティルデ・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=アウグステンブルク

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 自分が運営している性風俗店に隠しカメラを設置し、強請したいセレブが性交を行う、または麻薬を摂取しているように見せるやらせ盗撮

出典

  1. ^ a b c 『スウェーデン国王もハマった「性風俗」極上プレイ』 週刊文春 2011年6月30日号
  2. ^ a b “スウェーデン国王:風俗店通い疑惑…本人否定、退位論も” (2011年6月16日). 2019年12月3日閲覧。
  3. ^ “Gangster Mille Markovic ‘who had pictures of Swedish king Carl XVI Gustaf in strip club’ shot dead in his car” (2014年1月24日). 2019年12月3日閲覧。
  4. ^ “Kungabilden granskad av Expressen” (2011年12月16日). 2019年12月3日閲覧。
  5. ^ “Intervju med Kungen och Silvia (1976) (Från 100 höjdare)” (2009年12月13日). 2019年12月3日閲覧。
  6. ^ “Så manipulerades bilden på kungen” (2011年12月20日). 2019年12月3日閲覧。
  7. ^ “Mille Markovic gripen för anstiftan till mordförsök” (2013年6月12日). 2019年12月4日閲覧。
  8. ^ 【トレビアン】世界の変わった法律! 売春が合法の国!?(トレビアンニュース) - livedoor ニュース
  9. ^ “新型コロナに感染したポーランド大統領、ブースターショットを打ってまた感染”. 中央日報 (2021年1月6日). 2022年1月6日閲覧。
  10. ^ 【大阪万博】1970年5月15日(金) スウェーデンナショナルデー
  11. ^ 国賓・公賓など外国賓客(元首・王族)一覧表(昭和27年~昭和63年) - 宮内庁
  12. ^ Official visit to Japan – day 1
  13. ^ スウェーデン国王王妃両陛下訪日 迎賓館における安倍総理大臣夫妻関連行事
  14. ^ The King and The Crown Princess attend the imperial enthronement in Japan
  15. ^ “Swedish King to face book's love affair claims” (2010年11月3日). 2019年12月4日閲覧。
  16. ^ “Kungen: Grundlagen är lustig” (2003年11月24日). 2019年12月9日閲覧。
  17. ^ 結婚は6月に スウェーデン国王『朝日新聞』1976年(昭和51年)3月14日、13版、18面

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、カール16世グスタフに関連するメディアおよびカテゴリがあります。
  • スウェーデン王室公式サイト(スウェーデン語及び英語)
先代
グスタフ6世アドルフ
スウェーデン国王
1973年 -
次代
-
上位
アレクシス・ブロシェク
イギリス王位継承順位
他の英連邦王国の王位継承権も同様
下位
カール・フィリップ王子
スウェーデン王子
スウェーデン王国旗スウェーデン国王スウェーデン王国章
ユングリング家
ステンキル家
エストリズセン家
  • マグヌス1世1125-1130
スヴェルケル家およびエリク家
  • スヴェルケル1世1130-1156
  • エリク9世1156-1160
エストリズセン家
  • マグヌス2世1160-1161
スヴェルケル家およびエリク家
  • カール7世1161-1167
  • クヌート1世1167-1195
  • スヴェルケル2世1196-1208
  • エリク10世1208-1216
  • ヨハン1世1216-1222
  • エリク11世1222-1229
  • クヌート2世1229-1234
  • エリク11世(復位)1234-1250
フォルクング家
  • ヴァルデマール1世1250-1275
  • マグヌス3世1275-1290
  • ビルイェル1290-1318
  • マグヌス4世1319-1364
  • エリク12世(共治)1356-1359
  • ホーコン(共治)1362-1364
メクレンブルク家
  • アルブレクト1364-1388
グライフェン家
  • エリク13世1396–1439
ボンデ家
  • カール8世1438-1440
プファルツ=ノイマルクト家
  • クリストファ3世1440-1448
ボンデ家
  • カール8世(復位)1448-1457
オルデンブルク家
  • クリスチャン1世1457-1464
ボンデ家
  • カール8世(復位)1464-1465, 1467-1470
オルデンブルク家
  • ヨハン2世1497-1501
  • クリスチャン2世1520-1523
ヴァーサ家
  • グスタフ1世1523-1560
  • エリク14世1560-1568
  • ヨハン3世1568-1592
  • シギスムンド1592-1599
  • カール9世1604-1611
  • グスタフ2世アドルフ1611-1632
  • クリスティーナ1632-1654
プファルツ=クレーブルク家
  • カール10世1654-1660
  • カール11世1660-1697
  • カール12世1697-1718
  • ウルリカ・エレオノーラ1718-1720
ヘッセン家
  • フレドリク1世1720-1751
ホルシュタイン=ゴットルプ家
  • アドルフ・フレドリク1751-1771
  • グスタフ3世1771-1792
  • グスタフ4世アドルフ1792-1809
  • カール13世1809-1818
ベルナドッテ家
  • カール14世ヨハン1818-1844
  • オスカル1世1844-1859
  • カール15世1859-1872
  • オスカル2世1872-1907
  • グスタフ5世1907-1950
  • グスタフ6世アドルフ1950-1973
  • カール16世グスタフ1973-現在
アフリカ
アジア
ヨーロッパ
両アメリカ
  • アンティグア・バーブーダの旗 バハマの旗 ベリーズの旗 カナダの旗 グレナダの旗ジャマイカの旗 セントクリストファー・ネイビスの旗 セントルシアの旗 セントビンセント・グレナディーンの旗 チャールズ3世
オセアニア
職権上の騎士
  • 国王チャールズ3世1958
  • プリンス・オブ・ウェールズ2008
臣民の騎士
  • 第5代アバコーン公爵1999
  • イング男爵2001
  • バトラー男爵(英語版)2003
  • モリス男爵(英語版)2003
  • サー・ジョン・メージャー2005
  • ルース男爵(英語版)2008
  • サー・トマス・ダン(英語版)2008
  • フィリップス男爵2011
  • ボイス男爵2011
  • スターラップ男爵2013
  • マニンガム=ブラー女男爵2014
  • キング男爵2014
  • 第5代シャトルワース男爵2016
  • サー・デイヴィッド・ ブリューワー(英語版)2016
  • レディ・メアリー・フェーガン(英語版)2018
  • 第3代ブルックバラ子爵2018
  • レディ・メアリー・ピーターズ2019
  • 第7代ソールズベリー侯爵2019
  • アモス女男爵(英語版)2022
  • サー・トニー・ブレア2022
  • 空席4席
王族の騎士
  • ケント公爵1985
  • プリンセス・ロイヤル1994
  • グロスター公爵1997
  • アレクサンドラ王女2003
  • ヨーク公爵2006
  • エディンバラ公爵2006
  • 王妃2022
外国君主の騎士
  • マルグレーテ2世(デンマーク女王)1979
  • カール16世グスタフ(スウェーデン国王)1983
  • フアン・カルロス1世(スペイン前国王)1988
  • ベアトリクス(オランダ前女王)1989
  • 明仁上皇(日本前天皇)1998
  • ハーラル5世(ノルウェー国王)2001
  • フェリペ6世(スペイン国王)2017
  • ウィレム=アレクサンダー(オランダ国王)2018
オフィサー
  • Prelate:ウィンチェスター主教ティム・デーキン(英語版)
  • Chancellor:第5代アバコーン公爵
  • Registrar:ウィンザー首席司祭デイヴィッド・コナー(英語版)
  • Garter Principal King of Armsトマス・ウッドコック
  • Secretary:パトリック・ディキンソン(英語版)
  • Black Rodサラ・クラーク(英語版)
スペイン金羊毛騎士団
主権者
  • スペイン王フェリペ6世 (1981)
騎士
  • 前スペイン王フアン・カルロス1世 (1941)
  • スウェーデン王カール16世グスタフ (1983)
  • 前日本天皇明仁上皇 (1985)
  • 前オランダ女王ベアトリクス (1985)
  • デンマーク女王マルグレーテ2世 (1985)
  • 前ベルギー王アルベール2世 (1994)
  • ノルウェー王ハーラル5世 (1995)
  • 旧ブルガリア王シメオン2世 (2004)
  • ルクセンブルク大公アンリ (2007)
  • ハビエル・ソラナ (2010)
  • ヴィクター・ガルシア・デ・ラ・コンチャ(スペイン語版) (2010)
  • ニコラ・サルコジ (2011)
  • エンリケ5世イグレシアス(スペイン語版) (2014)
  • アストゥリアス女公レオノール (2015)
括弧内は騎士団加入年
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