ガザフ県

ガザフ県

Qazakh Rayonu
ガザフ県の位置
ガザフ県の位置
北緯41度05分36秒 東経45度21分58秒 / 北緯41.09333度 東経45.36611度 / 41.09333; 45.36611座標: 北緯41度05分36秒 東経45度21分58秒 / 北緯41.09333度 東経45.36611度 / 41.09333; 45.36611
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
34
県都 ガザフ(英語版)
政府
 • 県知事 Ayaz Asgarov
面積
 • 合計 701 km2
人口
 • 合計 102,031人
 • 密度 150人/km2
等時帯 UTC+4
 • 夏時間 UTC+5
郵便番号
3500
電話番号 (+994) 22[2]
ウェブサイト www.qazax-ih.gov.az

ガザフ県(ガザフけん、アゼルバイジャン語: Qazax)はアゼルバイジャン北西部のギャンジャ=ガザフ経済地区の県。県都はガザフ(英語版)2011年の人口は約10.2万人。

アルメニアに飛び地のユカリ・アスキパラ(英語版)バルクダルリ(英語版)が有るが、ナゴルノ・カラバフ戦争の結果両方アルメニアが統治している。

北から時計回りに

に接する。

歴史

アルメニア王国時代、この地方はウティク(英語版)州の一部だった。 後にサーサーン朝東ローマ帝国イスラム帝国セルジューク朝グルジア王国モンゴル帝国ティムール朝黒羊朝白羊朝サファヴィー朝が支配した。

1578年オスマン帝国が支配した。

1735年オスマン帝国からガージャール朝に割譲された。

1813年、ロシア・ペルシャ戦争 (1804年-1813年)の結果結ばれたゴレスターン条約で、ロシア帝国に割譲された。 この地域にはティフリス県(英語版)が設置された。

1868年、北東部がエリサベスポル県(英語版)に編入された。

イギリスオリバー・ウォードロップ(英語版)総督が南コーカサスを占領した際、地域紛争を解決する為に

事を提案した。しかし、アルメニア人はガザフとザンゲズル、ナゴルノ・カラバフが含まれていない為拒否した。また、アゼルバイジャン人ナヒチェバンが含まれていない為拒否した。

1919年中盤、両民族の紛争が発生した事を受けて、イギリス軍は撤退した。

アルメニア国境付近の一部集落はソビエト連邦時代末期の第一次ナゴルノ・カラバフ戦争以降アルメニアが占領している。2024年4月19日の両国間の和平交渉でBağanis Ayrum、Aşağı Əskipara、Xeyrimli、Qızılhacılıの4村の返還が決定し、5月24日に履行された[3][4]

構成自治体

著名人

脚注

  1. ^ The state statistical committee of the Azerbaijan Republic
  2. ^ “Şəhərlərarası telefon kodları”. Aztelekom MMC. Aztelekom İB. 2015年8月19日閲覧。 (アゼルバイジャン語)
  3. ^ “Foes Azerbaijan and Armenia agree ‘historic’ return of villages”. Euractiv (2024年4月20日). 2024年5月28日閲覧。
  4. ^ “Azerbaijan Regains Control Over 4 Villages Near Armenian Border”. ラジオ・フリー・ヨーロッパ (2024年5月24日). 2024年5月28日閲覧。

外部リンク

  • Executive Power of Qazakh District (Rayon) -- in Azeri
バクー経済地区(首都)
ナヒチェヴァン経済地区
ナヒチェヴァン自治共和国
  • ナヒチェヴァン市
  • バベク県
  • ジュルファ県
  • キャンギャルリ県
  • オルドゥバド県
  • サダラク県
  • シャフブズ県
  • シャルル県
アブシェロン=フズ経済地区
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ギャンジャ=ダシュキャサン経済地区
カラバフ経済地区
ガザフ=トヴズ経済地区
グバ=ハチマズ経済地区
レンキャラン=アスタラ経済地区
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ミル=ムガン経済地区
シャキ=ザガタラ経済地区
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