ガリア・ルグドゥネンシス

ガリア・ルグドゥネンシス属州の位置(120年頃のローマ帝国)

ガリア・ルグドゥネンシスラテン語: Gallia Lugdunensis)は、ローマ帝国属州のひとつ。現在のフランス東部に相当する。ガリアケルト人居住区にあった。皇帝属州であり、皇帝の管轄に入る。

「ルグドゥネンシス」とはこの地方の首都ルグドゥヌム(現在のリヨン)から取っており、当時では、恐らく重要な都市であったと思われる。本来の境界線はセーヌ川とマルヌ川の間であり、ここを挟んで北東側がガリア・ベルギカガロンヌ川を挟んでガリア・アクィタニアと接している。

歴史

帝政以前のガリアに関してはガリアを参照の事。

共和政から帝政にローマが変わり、アウグストゥスの治世になるとこの属州の範囲は縮小された。ロワール川ガロンヌ川と挟んだ地域はガリア・アクィタニアに併合され、北東部はゲルマニア・スペリオルと合併した。さきに掲げた図は縮小された後の地域を指している。

296年ディオクレティアヌスによるテトラルキアで帝国の統治が分割されると、この地域は「ガリアエ」と呼ばれ、しばしば混同されて使われている。もともと「ガリアエ」には「ガリア人の土地」という意味があり、しばしばケルト系のヘルウェティイ族ベルガエ人ゲルマン族が居住する地域全部を含めた総称として使われた。しかし西ローマ帝国では「ガリア人の住む土地」という意味で南東ガリア、ブリタンニアヒスパニアもまとめて「ガリアエ」と呼ばれた。


脚注

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参考文献

関連項目

前期ローマ帝国の属州(3世紀以前)
本土
  • イタリア
元老院属州
皇帝属州
皇帝私領
東方属州(115年 - 117年)
117年以前に存在した属州
上記は、ローマ帝国の領土が最大となった117年の属州。「東方属州」はトラヤヌス帝期にのみ存在した属州。
後期ローマ帝国の属州(4 - 7世紀)
歴史的背景

293年、ディオクレティアヌスによって属州の統治体制が再編され、新たに管区が制定された。道は337年のコンスタンティヌス1世の死後、確立された。

  • 帝国西方(395年 - 476年)
ガリア道(英語版)
ガリア管区(英語版)
ウィエンヌ管区(英語版)
ヒスパニア管区(英語版)
ブリタンニア管区
  • 第1ブリタンニア(英語版)
  • 第2ブリタンニア(英語版)
  • フラウィア・カエサリエンシス(英語版)
  • マクシマ・カエサリエンシス(英語版)
  • ウァレンティア(英語版)369
イタリア道(英語版)
イタリア郊外区
イタリア穀物区
  • アルペス・コッティアエ
  • フラミニアおよびピケヌム・アンノナリウム(英語版)
  • リグリア(英語版)およびアエミリア(英語版)
  • 第1ラエティア(英語版)
  • 第2ラエティア(英語版)
  • ウェネティアおよびイストリア(英語版)
アフリカ管区(英語版)
パンノニア管区(英語版)
  • 帝国東方(395年 - 640年頃)
イリュリクム道(英語版)
ダキア管区(英語版)
  • ダキア・メディテラネア(英語版)
  • ダキア・リペンシス(英語版)
  • ダルダニア
  • 第1モエシア
  • プラエウァリタナ(英語版)
マケドニア管区(英語版)
オリエンス道
トラキア管区(英語版)
  • エウロパ(英語版)
  • ハエミモントゥス(英語版)
  • 第2モエシア
  • ロドペ(英語版)
  • スキュティア・ミノル(英語版)
  • トラキア
アシア管区(英語版)
ポントゥス管区(英語版)
オリエンス管区
アエギュプトゥス管区(英語版)
その他
  • タウリカ
  • クァエストゥラ・エクセルキトゥス(英語版)536
  • スパニアエ(英語版)552
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