ジェームズ・クレイグ・ワトソン

曖昧さ回避 分子生物学者の「ジェームズ・ワトソン」とは異なります。
ジェームズ・クレイグ・ワトソン
発見した小惑星
(79) エウリノーメ 1863年9月14日
(93) ミネルバ 1867年8月24日
(94) アウロラ 1867年9月6日
(100) ヘカテ 1868年7月11日
(101) ヘレナ 1868年8月15日
(103) ヘラ 1868年9月7日
(104) クリメネ 1868年9月13日
(105) アルテミス 1868年9月16日
(106) ディオネ 1868年10月10日
(115) テューラ 1871年8月6日
(119) アルタエア 1872年4月3日
(121) ヘルミオネ 1872年5月12日
(128) ネメシス 1872年2月25日
(132) アエトラ 1873年6月13日
(133) キレネ 1873年8月16日
(139) 瑞華 1874年10月10日
(150) 女媧 1875年10月18日
(161) アトール 1876年4月19日
(168) シビラ 1876年9月28日
(174) ファエドラ 1877年9月2日
(175) アンドロマケ 1877年10月1日
(179) クリュタイムネストラ 1877年11月11日

ジェームズ・クレイグ・ワトソン(James Craig Watson、1838年1月28日 - 1880年11月22日)は、カナダオンタリオ州に生まれ、カナダとアメリカで活動した天文学者

ワトソンの家族は1850年にミシガン州アナーバーに転居した。

15歳のときミシガン大学に合格。古代言語を専攻した。また、フランツ・ブリュヌーンに天文学の講義を受ける[1]

この後、フランツ・ブリュヌーンに代わりデトロイト天文台の第2代所長となった。1868年には『天文理論』という本も書いている。

ワトソンは79番小惑星エウリノーメをはじめとして22の小惑星を発見している[2]。そのうち一つは瑞華であり、北京で発見した。命名は中国当局の発案である[3]

ワトソンは、水星より太陽の近くを廻る惑星「バルカン惑星」の存在を信じていたが、今日ではそのような天体がないことが知られている。彼は1878年7月ワイオミング州で日食の際に2つのバルカン惑星を観測できたと信じていた。

1880年、腹膜炎のため42歳で死去した。天文学以外の分野で非常に儲け、その財産でジェームズ・クレイグ・ワトソン・メダルを設立し、3年ごとに天文学者に全米科学アカデミーで賞与されるように寄付している。

小惑星(729)のワトソニアは、ワトソンにちなんで名づけられた[4]

参考文献

  1. ^ Hinsdale, Burke (1906). History of the University of Michigan. Ann Arbor, MI: University of Michigan. pp. 235–236 
  2. ^ “Minor Planet Discoverers”. MPC. 2021年8月7日閲覧。
  3. ^ Linda T. Elkins-Tanton - Asteroids, Meteorites, and Comets (2010) - Page 96 (Google Books)
  4. ^ “(729) Watsonia = 1912OD = 1944 DP”. MPC. 2021年8月7日閲覧。
  • Richard Baum and William Sheehan (1997). In Search of Planet Vulcan, The Ghost in Newton's Clockwork Machine. ISBN 978-0-306-45567-4 
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