ジミー・チェンバレン
ジミー・チェンバレン Jimmy Chamberlin | |
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基本情報 | |
出生名 | James Joseph Chamberlin |
生誕 | (1964-06-10) 1964年6月10日(60歳) |
出身地 | アメリカ合衆国イリノイ州 ジョリエット |
ジャンル | オルタナティヴ・ロック フュージョン |
担当楽器 | ドラムス、パーカッション |
活動期間 | 1988年 - |
共同作業者 | スマッシング・パンプキンズ、ズワン、en:The Jimmy Chamberlin Complex |
公式サイト | jimmychamberlin.com |
著名使用楽器 | |
YAMAHA SD2455JC |
ジミー・チェンバレン(Jimmy Chamberlin、1964年6月10日-)は、アメリカ合衆国のドラマー。オルタナティヴ・ロックバンド、スマッシング・パンプキンズのドラマーとして活動。
来歴
生い立ち
アメリカ合衆国イリノイ州の中都市、ジョリエットで6人兄弟の1人として生まれる。父はジャズバンドでクラリネットを、兄はドラムをプレイするという音楽一家で育つ。
9歳の時にドラムを始め、15歳の時には地元のバンドで演奏するようになる。様々なバンドを転々とした後、友人にビリー・コーガンを紹介され、スマッシング・パンプキンズに加入することになる。当時、ジミーは大工をしていたが、パンプキンズの活動に集中するため、ほどなくして仕事を辞めている。
スマッシング・パンプキンズ
パンプキンズが成功への歩みを進める一方で、ジミーは深刻なヘロイン中毒に陥っていた。ツアー中のある日、ホテルの部屋で一緒に麻薬をやっていたバンドサポーターのジョナサン・メルビンがオーバードースしてしまう。同室で摂取していたジミーは逮捕され、この一件によりバンドを解雇された。
その後、元スキッド・ロウのセバスチャン・バックのソロ・プロジェクトに参加するが、程なくしてパンプキンズに呼び戻され、2000年の解散までドラマーを務めた。
ズワン ~ ジミー・チェンバレン・コンプレックス
解散後はビリーと行動を共にし、2001年にはズワンを結成するが、このバンドは短命に終わり、アルバム一枚を発表した後の2003年に解散した。
2004年には自ら新プロジェクト『ジミー・チェンバレン・コンプレックス』を立ち上げ、翌年にはアルバムを出した。
パンプキンズ再結成 ~ 現在
2006年にパンプキンズが再結成されると、ジミーはビリーと共に参加。アルバムを制作し、これをサポートするツアーにも参加するも、2009年に脱退を表明[1][2]。
今後は自身のバンド、ジミー・チェンバレン・コンプレックスの一員として音楽活動を続けることを表明したが、2015年にサポートメンバーとしてバンドに復帰し、2018年よりは三度正式メンバーとして復帰した[3]。
プレイスタイル
元々はジャズドラマーであったこともあり、ジャズとロックの双方から影響を受けている。ジミーによると、ロックドラマーではキース・ムーン、ジョン・ボーナム、イアン・ペイスが、ジャズドラマーではトニー・ウィリアムス、エルビン・ジョーンズ、そしてジーン・クルーパが彼のプレイスタイルに大きな影響を及ぼしている。[4]
オンライン・マガジンのGigwise誌は、2008年にジミーを偉大なドラマーランキングの第5位に選出した[5]。このランキングには、ジミーが憧れるドラマーも多数ランクインしている。
2010年の「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」に於いて第53位。
ディスコグラフィー
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脚注
外部リンク
- The Smashing Pumpkins
- The Jimmy Chamberlin Complex
- ジミー・チェンバレン シグネチャーモデル
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ビリー・コーガン | ジェームス・イハ | ジミー・チェンバレン | ジェフ・シュローダー ダーシー・レッキー | メリッサ・オフ・ダ・マー | マイク・バーン | ニコール・フィオレンティーノ | |
スタジオ・アルバム | ギッシュ | サイアミーズ・ドリーム | メロンコリーそして終りのない悲しみ | アドア | マシーナ/ザ・マシーンズ・オブ・ゴッド |
コンピレーション・アルバム | パイシーズ・イスカリオット | ジ・エアロプレイン・フライズ・ハイ | ロットン・アップルズ |
主な楽曲 | トゥデイ | マヨネーズ | トゥナイト・トゥナイト | ゼロ | 1979 | トライ・トライ・トライ |
DVD | ヴューフォリア |
関連項目 | ズワン | ヴァージン・レコード | リプリーズ・レコード | サブ・ポップ |
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