ハロルド・ベインズ

ハロルド・ベインズ
Harold Baines
2011年8月11日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 メリーランド州イーストン
生年月日 (1959-03-15) 1959年3月15日(65歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手指名打者
プロ入り 1977年 ドラフト1巡目
初出場 1980年4月10日
最終出場 2001年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • シカゴ・ホワイトソックス (2004 - 2015)
アメリカ野球殿堂
殿堂表彰者
選出年 2019年
得票率 75.00%
選出方法 ベテランズ委員会
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

ハロルド・ダグラス・ベインズHarold Douglas Baines, 1959年3月15日 - )は、アメリカ合衆国メリーランド州イーストン出身の元プロ野球選手右翼手及び指名打者)。左投左打。

ニックネームは「静かな男」。

経歴

少年時代からMLB入団まで

ベインズは1959年3月15日にメリーランド州イーストンに生まれる。その後地元で育ち、セントミカエル高校在学時には打率.532の記録をたたき出し、全米高校野球で注目された。

高校を卒業する1977年、ドラフト会議で、シカゴ・ホワイトソックスから全体1位で指名され入団。当時ホワイトソックスのオーナーだったビル・ベックは、12歳当時のベインズがリトルリーグでプレイしているのを見て、少年時代より注目していたという。

シカゴ・ホワイトソックス時代(1980年 - 1989年)

1980年4月10日の開幕戦にてメジャーデビューを果たし、弱冠20歳ですぐにレギュラーに定着。

1982年には161試合に出場して打率.271、25本塁打、105打点を記録。

1983年は打率.280、20本塁打、99打点でチームの地区優勝に貢献。1984年には自己最多の29本塁打を記録。長打率.541はア・リーグ1位であった。

1984年5月8日のコミスキー・パークで行われた対ミルウォーキー・ブルワーズ戦は延長戦に入り、午前1時を過ぎたところでアメリカンリーグの規定により、サスペンデッドゲームとなった。翌9日に正規の試合前に続行試合が行われ、8時間6分に及ぶMLB史上最長時間試合となったが、延長25回裏にチャック・ポーターから中堅方向へサヨナラ本塁打を放つ[1]。この時のバットはアメリカ野球殿堂入りしている。

1985年は打率.309、22本塁打、113打点(自己最高)で初のオールスター出場を果たす。

1986年頃よりの故障に悩まされ、1987年以後はほぼ指名打者での起用が中心となる。 すでにこの時点で、オーナーのジェリー・ラインズドルフがベインズの背番号3』を永久欠番に指定することを確約しており、1989年シーズン途中に2対3の交換トレードでベインズはテキサス・レンジャーズへ移籍する[2]が、この移籍退団をもってベインズの背番号『3』を永久欠番に指定している。

ベインズのホワイトソックス在籍時の背番号「3」。
シカゴ・ホワイトソックスの永久欠番1989年指定。

3球団所属時代(1989年 - 1995年)

レンジャーズに移籍後、今度は1990年のシーズン途中に2選手との交換でオークランド・アスレチックスにいわゆるフラッグ・トレードで移籍。この年アスレチックスはリーグ優勝を果たしており、自身初のワールドシリーズ出場を果たすが、相手となったシンシナティ・レッズに1勝もできず4連敗で敗退してしまった。

1991年は、打率.295、20本塁打、90打点の活躍で4年ぶりにオールスターに出場し、1992年は、アスレチックスの地区優勝に貢献。

1993年にマイナー2投手との交換で地元のボルチモア・オリオールズに移籍し、同年は打率.313、翌1994年は.294、1995年は.299を記録した。

ホワイトソックス復帰(1996年)

1996年には古巣ホワイトソックスにフリーエージェント(FA)で復帰。再び永久欠番『3』をつけてプレーする。同年は、打率.313、22本塁打、95打点の好成績だった。

オリオールズ・インディアンス所属時代(1997年 - 2000年)

1997年シーズン中に再びフラッグ・トレードでオリオールズに移籍し、チームのプレイオフ進出に貢献。

1999年には8年ぶりのオールスター出場を果たすが、この後でクリーブランド・インディアンスに移籍。背番号は『33』をつけたが、この年は40歳にして打率.312(規定打席不足)、25本塁打、103打点を記録した。

2000年は、オリオールズにまた復帰して開幕を迎えるが、同年7月20日に古巣・ホワイトソックスに復帰する。

2度目のホワイトソックス復帰・引退まで(2000年 - 2001年)

最終シーズン、インタビューを受けるベインズ(2001年)

古巣シカゴ・ホワイトソックスに2度目の復帰を果たした、翌2001年は24試合出場し、現役を引退した。

引退後

引退後、2004年3月にホワイトソックスのベンチコーチ(日本のプロ野球でいうヘッドコーチに相当)に就任。2015年までコーチとしてチームを支えた。

2005年には、現役時代に果たせなかったワールドチャンピオンを、コーチとして成し遂げた。

2016年、ホワイトソックスのスペシャルアドバイザーに転身。

2019年ベテランズ委員会の選出でアメリカ野球殿堂入りを果たした[3]

選手としての特徴

現役時代のベインズ。一本足打法で打っている。(1986年)

指名打者としての出場試合1652はMLB記録である。通算384本塁打を打ち、シーズン30本塁打を打ったことのない選手の中では歴代2位である。また、指名打者においての通算本塁打236本も、2004年エドガー・マルティネスに更新されるまで歴代1位である。通算1628打点はMLB歴代30位。勝負強さが持ち味で、通算満塁本塁打13本の記録もある。

また、前述の通り「静かな男」のニックネームで、当時もっとも無口なメジャーリーガーと言われていたという。球場には誰よりも一番先に着いて黙々と練習に励み、人望が厚かった。ベインズは「よく、昔の名選手の誰かが僕に似ていると言うけど、僕としてはそんな風に比較されるのは好きじゃない。僕はハロルド・ベインズなんだ。ファンが球場に足を運んで見てみたいと思う選手になりたいだけだ」と述べている。

ベインズは2007年にアメリカ野球殿堂入りの候補者資格を得たが、初年度の殿堂入り投票では29票(得票率5.3%)しか得られなかった。2008年度以降の投票でも殿堂入りに必要な得票率75%には届かず、むしろ足切りラインの得票率5%(これを下回ると候補者資格を失い、次年度以降の候補者リストから外される)を辛うじて上回る程度であった。2011年の投票で得票率が4.8%(得票数28票)と5%を下回り、殿堂入りの資格を失ったが、前述の通り2019年ベテランズ委員会選考により、リー・スミスとともに殿堂入りを果たした。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1980 CWS 141 518 491 55 125 23 6 13 199 49 2 4 2 5 19 7 1 65 15 .255 .281 .405 .686
1981 82 296 280 42 80 11 7 10 135 41 6 2 0 2 12 4 2 41 6 .286 .318 .482 .800
1982 161 668 608 89 165 29 8 25 285 105 10 3 2 9 49 10 0 95 12 .271 .321 .469 .790
1983 156 655 596 76 167 33 2 20 264 99 7 5 3 6 49 13 1 85 15 .280 .333 .443 .776
1984 147 629 569 72 173 28 10 29 308 94 1 2 1 5 54 9 0 75 12 .304 .361 .541 .903
1985 160 693 640 86 198 29 3 22 299 113 1 1 0 10 42 8 1 89 23 .309 .348 .467 .815
1986 145 618 570 72 169 29 2 21 265 88 2 1 0 8 38 9 2 89 14 .296 .338 .465 .803
1987 132 554 505 59 148 26 4 20 242 93 0 0 0 2 46 2 1 82 12 .293 .352 .479 .831
1988 158 674 599 55 166 39 1 13 246 81 0 0 0 7 67 14 1 67 21 .277 .347 .411 .758
1989 96 397 333 55 107 20 1 13 168 56 0 1 0 3 60 13 1 52 11 .321 .423 .505 .928
TEX 50 186 172 18 49 9 0 3 67 16 0 2 0 1 13 0 0 27 4 .285 .333 .390 .723
'89計 146 583 505 73 156 29 1 16 235 72 0 3 0 4 73 13 1 79 15 .309 .395 .465 .860
1990 103 371 321 41 93 10 1 13 144 44 0 1 0 3 47 9 0 63 13 .290 .377 .449 .826
OAK 32 118 94 11 25 5 0 3 39 21 0 2 0 4 20 1 0 17 4 .266 .381 .415 .796
'90計 135 489 415 52 118 15 1 16 183 65 0 3 0 7 67 10 0 80 17 .284 .378 .441 .819
1991 141 566 488 76 144 25 1 20 231 90 0 1 0 5 72 22 1 67 12 .295 .383 .473 .857
1992 140 543 478 58 121 18 0 16 187 76 1 3 0 6 59 6 0 61 11 .253 .331 .391 .723
1993 BAL 118 480 416 64 130 22 0 20 212 78 0 0 1 6 57 9 0 52 14 .313 .390 .510 .900
1994 94 357 326 44 96 12 1 16 158 54 0 0 0 0 30 6 1 49 9 .294 .356 .485 .840
1995 127 459 385 60 115 19 1 24 208 63 0 2 0 4 70 13 0 45 17 .299 .403 .540 .943
1996 CWS 143 572 495 80 154 29 0 22 249 95 3 1 0 3 73 7 1 62 20 .311 .399 .503 .902
1997 93 361 318 40 97 18 0 12 151 52 0 1 0 2 41 10 0 47 9 .305 .382 .475 .857
BAL 44 149 134 15 39 5 0 4 56 15 0 0 0 1 14 1 0 15 3 .291 .356 .418 .774
'97計 137 510 452 55 136 23 0 16 207 67 0 1 0 3 55 11 0 62 12 .301 .375 .458 .832
1998 104 328 293 40 88 17 0 9 132 57 0 0 0 2 32 4 1 40 17 .300 .369 .451 .819
1999 107 390 345 57 111 16 1 24 201 81 1 2 0 2 43 3 0 38 14 .322 .395 .583 .977
CLE 28 96 85 5 23 2 0 1 28 22 0 0 0 0 11 0 0 10 2 .271 .354 .329 .684
'99計 135 486 430 62 134 18 1 25 229 103 1 2 0 2 54 3 0 48 16 .312 .387 .533 .919
2000 BAL 72 252 222 24 59 8 0 10 97 30 0 0 0 1 29 6 0 39 6 .266 .349 .437 .786
CWS 24 68 61 2 13 5 0 1 21 9 0 0 0 0 7 1 0 11 0 .213 .294 .344 .638
'00計 96 320 283 26 72 13 0 11 118 39 0 0 0 1 36 7 0 50 6 .254 .338 .417 .754
2001 32 94 84 3 11 1 0 0 12 6 0 0 0 2 8 0 0 16 2 .131 .202 .143 .345
MLB:22年 2830 11092 9908 1299 2866 488 49 384 4604 1628 34 34 9 99 1062 187 14 1441 298 .289 .356 .465 .820
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



中堅(CF) 左翼(LF) 右翼(RF)




































1980 CWS - - 137 230 6 9 1 .963
1981 - - 81 126 10 2 1 .986
1982 3 7 0 0 0 1.000 - 161 321 11 6 4 .982
1983 20 33 0 0 0 1.000 - 142 280 10 9 3 .970
1984 7 12 0 0 0 1.000 - 147 299 7 6 1 .981
1985 - - 159 318 10 2 2 .994
1986 - - 141 296 14 5 5 .984
1987 - - 8 13 0 0 0 1.000
1988 - - 10 16 2 2 0 .900
1989 - - 24 46 0 1 0 .979
TEX - - 1 2 0 1 0 .667
'89計 - - 25 48 0 2 0 .960
1990 - - 2 5 0 1 0 .833
1991 OAK - 1 0 0 0 0 ---- 11 11 1 1 0 .923
1992 - 6 8 0 0 0 1.000 17 19 0 1 0 .950
1997 CWS - - 1 0 0 0 0 ----
MLB 30 52 0 0 0 1.000 7 8 0 0 0 1.000 1042 1982 71 46 17 .978
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

記録

背番号

脚注

  1. ^ 伊東一雄『メジャー・リーグ紳士録』ベースボール・マガジン社、1997年、22-23頁。ISBN 4583034113。 
  2. ^ この際、レンジャーズからホワイトソックスに移った3選手のうち1人が当時ルーキーのサミー・ソーサであった
  3. ^ “Lee Smith, Baines earn election to Hall of Fame” (英語). MLB.com. 2018年12月10日閲覧。

関連項目

外部リンク

  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
  • Baseballhalloffame.org(英語)アメリカ野球殿堂National Baseball Hall of Fame)による紹介
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
 
業績
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
  • 捕手
  • 一塁手
  • 二塁手
  • 三塁手
  • 遊撃手
  • 外野手
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
シカゴ・ホワイトソックス 2005年のワールドシリーズ ロースター
   

監督
13 オジー・ギーエン

コーチ
03 ハロルド・ベインズ(ベンチ)
21 ドン・クーパー(投手)
28 ジョーイ・コーラ(三塁)
29 グレッグ・ウォーカー(打撃)
30 ティム・レインズ(一塁)
53 アート・カッシュナー(ブルペン)

シカゴ・ホワイトソックス
球団
歴代本拠地
文化
永久欠番
ワールドシリーズ優勝(3回)
ワールドシリーズ敗退(2回)
リーグ優勝(6回)
できごと
傘下マイナーチーム
  • シャーロット・ナイツ(AAA級)
  • バーミングハム・バロンズ(AA級)
  • ウィンストン・セイラム・ダッシュ(High-A級)
  • カナポリス・キャノンボーラーズ(Low-A級)
  • アリゾナ・コンプレックスリーグ・ホワイトソックス (Rookie級)
  • ドミニカン・サマーリーグ・ホワイトソックス(Rookie級)
ボルチモア・オリオールズ
球団
歴代本拠地
文化
永久欠番
オリオールズ球団殿堂
ワールドシリーズ優勝(3回)
ワールドシリーズ敗退(4回)
リーグ優勝(7回)
できごと
傘下マイナーチーム
  • ノーフォーク・タイズ(AAA級)
  • ボウイ・ベイソックス(AA級)
  • アバディーン・アイアンバーズ(High-A級)
  • デルマーバ・ショアバーズ(Low-A級)
  • フロリダ・コンプレックスリーグ・オリオールズ(Rookie級)
  • ドミニカン・サマーリーグ・オリオールズ(Rookie級)
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