マギンダナオ王国

マギンダナオ・スルタン国
1515年頃 - 1899年1926年 スペイン領東インド
マギンダナオ・スルタン国の国旗
(国旗)
マギンダナオ・スルタン国の位置
公用語 マギンダナオ語アラビア語マレー語マラナオ語
首都 コタバト、マラバン
スルタン
1520年 - 1543年 シャリーフ・ムハンマド・カブンスワン
変遷
建国 1515年
スペインによる征服1899年1926年
フィリピンの歴史

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先史時代(900年以前)
古代(900年 - 1521年)
トンド  
マジャ・アス  
マニラ  
バトゥアン  
セブ  
マギンダナオ王国  
スールー王国  
植民地時代(1565年 - 1946年)
スペイン領東インド 1565年 - 1898年
フィリピン総督領 1565年 - 1898年
フィリピン独立革命 1896年 - 1898年
カティプナン 1892年 - 1897年
第一共和国 1898年 - 1901年
アメリカ軍事政府(英語版) 1898年 - 1902年
米比戦争 1899年 - 1902年
フィリピン群島政府(英語版) 1901年 - 1935年
フィリピン・コモンウェルス 1935年 - 1942年
日本占領下 1942年 - 1944年
亡命政府(英語版) 1942年 - 1943年
フィリピン行政委員会 1942年 - 1943年
第二共和国 1943年 - 1945年
フィリピン・コモンウェルス 1945年 - 1946年
現代(1946年以降)
第三共和国 1946年 - 1965年
第四共和国 1965年 - 1986年
暫定政府 1986年 - 1987年
第五共和国 1986年 - 現在
フィリピンの歴史 (900年-1565年)(英語版) 900年 - 1565年
フィリピンの歴史 (1565年-1898年)(英語版) 1565年 - 1898年
フィリピンの歴史 (1898年-1946年) 1898年 - 1946年
フィリピンの歴史 (1946年-1965年) 1946年 - 1965年
フィリピンの歴史 (1965年-1986年) 1965年 - 1986年
フィリピンの歴史 (1986年-現在) 1986年 - 現在
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フィリピン ポータル

マギンダナオ・スルタン国英語: Sultanate of Maguindanao)は、かつてフィリピンミンダナオ島西部にあったイスラム教国16世紀の初頭以来ミンダナオ島に勢力をもち、マラウィを首都としてスペイン人による植民地支配を退けてきたが、19世紀スペイン領東インドに征服されその一部となった。

17世紀の全盛期にはミンダナオ島全域および周囲の諸島を支配した。マギンダナオ王国の歴史的影響は、ミンダナオ西南端のサンボアンガ半島からミンダナオ南部のサランガニにかけて残り、一帯はフィリピンでもムスリムの多い地域になっている。またスルタンたちの名はスルタン・クダラット州シャリフ・カブンスアン州など自治体の名になっている。

歴史

16世紀、マレー半島南端のジョホールの人物であったシャリーフ・ムハンマド・カブンスワン(Shariff Mohammed Kabungsuwan)はフィリピン諸島南部に来航してイスラム教を宣教した。彼は地元のマギンダナオ族の姫と結婚し、マギンダナオにスルタン国を確立した。スルタン国はコタバト・バレーに拠点を持ち、その農業力を背景に繁栄した。アラビア語を公用語として使用したほか、交易用語であるマレー語、地元の言語であるマギンダナオ語マラナオ語などを使用した。

1619年から1671年にかけてスルタンの地位にあったムハンマド・ディパトゥアン・クドラトゥッラー・ナシルッディーン(Sultan Muhammad Dipatuan Kudarat、一般には「スルタン・クダラット」 Qudarat の名で知られる)の時期、マギンダナオ王国はミンダナオ島の北部、および周囲の諸島やビサヤ諸島の一部までを征服し、ミンダナオ島全土を支配する最盛期を実現した。クダラットはミンダナオを征服しようとしたスペインの軍を破り、スペイン人およびオランダ人と交渉してミンダナオにおけるマギンダナオの主権を認めさせた。1645年6月25日には時のフィリピン総督アロンソ・ファハルドと講和条約を交わし、マギンダナオ王国内のキリスト教徒に対する聖職者派遣や教会建立、スペイン植民地とスルタン領の間の貿易などを認め、この和平は再びクダラットがビサヤ諸島へ攻撃するまで続いた。スペイン人に負けなかったクダラットは、現在ではフィリピン史の英雄のひとりとみなされている。その孫であるアブド・アル=ラーマン(Abd al-Rahman)もマギンダナオの支配を維持したスルタンとして知られる。

しかしながら王国はミンダナオ島を植民地化しようとするスペイン人の勢力に押されコタバト周辺に細々と存続するまでになり、19世紀後半にはスペイン領フィリピンの一部となった。

関連項目

外部リンク