マリア・ブッテルスカヤ

マリア・ブッテルスカヤ
Maria BUTYRSKAYA
フィギュアスケート選手
現役時代 - USAボルチモアにて(1996年)
生誕 (1972-06-29) 1972年6月29日(51歳)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ
身長 160 cm
選手情報
引退 2002年
獲得メダル
フィギュアスケート
世界選手権
1998 ミネアポリス 女子シングル
1999 ヘルシンキ 女子シングル
2000 ニース 女子シングル
欧州選手権
1996 ソフィア 女子シングル
1998 ミラノ 女子シングル
1999 プラハ 女子シングル
2000 ウィーン 女子シングル
2001 ブラチスラヴァ 女子シングル
2002 ローザンヌ 女子シングル
グランプリファイナル
1997 ミュンヘン 女子シングル
1998 サンクトペテルブルク 女子シングル
1999 リヨン 女子シングル

マリア・ヴィークトロヴナ・ブッテルスカヤロシア語: Мария Викторовна Буты́рская, ラテン文字転写: Maria Viktorovna Butyrskaya, 1972年6月28日 - )は、ロシア出身の女性フィギュアスケート選手。1998年長野オリンピック、2002年ソルトレイクシティオリンピック女子シングルロシア代表。1999年世界フィギュアスケート選手権優勝。本来の発音は「マリーヤ・ヴィークタラヴナ・ブトィールスカヤ」に近いが、日本ではメディアが使用した「マリア・ブッテルスカヤ」が定着した。ロシアでの愛称はマーシャモスクワ生まれのモスクワ育ち、現在もモスクワに住んでいる。

人物

現役時代は傑出した美貌とスタイルで高い人気を誇り、日本のテレビ局に「銀盤のセクシークイーン」とのキャッチコピーを付けられた。日本の富士フイルムのテレビコマーシャルにも出演している。また、自ら振り付けを行い衣装もデザインするという珍しい選手でもあった。その振り付けは自らの美貌とスタイルを十二分に活かした独特のもので、特に技と技の繋ぎの部分のアイデア豊富な動きは彼女の振付師としての能力の高さを示していた。彼女は自身の演技を「氷上の一人の女」と定義しており、女性らしさをいかに表現するかにその主眼は置かれていた。実際、優雅で女性的な表現力は高く評価されていた。

彼女の現役時代、ジャンプに関しては決して得意な方ではなかったが、「根性降り」と評された、気合いの着氷で転倒を堪えていた。新採点システム前にもかかわらずフリップとルッツをきちんと跳び分けていた選手でもある。

演技中の緊張による口の渇きを防ぐため、レモンを口に含んでいた。

彼女の競技への姿勢は極めてストイックで、豊富な練習量をこなしていたと言われる。また競技会時には、満足のいかない演技後は得点が出される前にキスアンドクライエリアから立ち去るなど、観客へのアピールよりもひたすら自分の演技にこだわる勝負師の一面が見られた。実際、長野オリンピックソルトレークシティオリンピックの舞台では、フリースケーティングでいずれも演技中にミスを犯してしまったため、フリー演技終了後は得点の表示板を全く見ずに憮然とした表情のまま、早々にキスアンドクライの席を立ち去っている。

1998年には「プレイボーイ」誌のグラビアを飾っている。

2006年にロシア出身でNHLのダラス・スターズに所属するアイスホッケー選手で、10歳年下のVadim Khomitski と結婚。 2007年に長男を2009年に長女を出産している[1]

略歴

1991-92シーズンに頭角を現し、ソビエト連邦フィギュアスケート選手権2位。しかしこの後、ソビエト連邦の崩壊に伴い彼女は競技を続ける為の資金にも事欠くようになり、満足にコーチも付けられない日々を送ることになる。しかし持ち前の気丈さでこの危機を凌いだマリアは、以降、チャンピオンシリーズ(現在のグランプリシリーズ)やヨーロッパ選手権、世界フィギュア選手権を舞台に安定した成績を残し、NHK杯も複数回優勝している。オリンピックでは長野大会で4位入賞、ソルトレイクシティ大会で6位入賞を果たしたものの、2大会共に惜しくも五輪のメダル獲得はならなかった。

1998年 - 1999年シーズンには史上最高齢の26歳で世界選手権優勝を果たした。演技後にガッツポーズをし、弾けるような笑顔になったのはアマチュア時代には後にも先にもこの時だけである。プログラムはSP:james infirmary FS:Otonal(秋に寄せて)

2002年ソルトレイクシティ五輪の1か月後、3月に長野で行われた世界選手権に出場した。しかし最初の予選演技に、彼女のコーチが車の渋滞に巻き込まれ、間に合わなくなるアクシデントなどで、メンタル面での動揺が影響して[要出典]予選成績は6位と不調。その後のショートプログラムとフリースケーティングを棄権してそのままロシアに帰国してしまい、同大会を最後にアマチュア競技生活を終えた。なお同ロシア代表だったビクトリア・ボルチコワは、「彼女の気持ちはよく分かるが、出場を決めたのなら途中で投げ出さずに、最後のフリー演技まで全うすべきだったと思う」とコメントしていた。

コーチ時代(2010年)

2006年よりコーチ業も始める。2014年現在はノービスクラスとジュニアクラスの選手の指導をしている[2]

主な戦績

大会/年 91-92 92-93 93-94 94-95 95-96 96-97 97-98 98-99 99-00 00-01 01-02
オリンピック 4 6
世界選手権 29 4 5 3 1 3 4 棄権
欧州選手権 5 4 7 3 4 1 1 2 2 1
ロシア選手権 1 2 1 1 1 1 1 2 3 2
ソビエト選手権 2
GPファイナル 7 4 3 2 3 4 4
GPスケートアメリカ 10 1
GPスケートカナダ 2
GPボフロスト杯
GPラリック杯 2 1 1 1 1
GPNHK杯 5 5 1 2 1 2

シニア

2001-2002 シーズン


開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2002年03月16日-24日 2002年世界フィギュアスケート選手権(長野) 6 - - 棄権
2002年02月09日-21日 ソルトレイクシティオリンピック(ソルトレイクシティ) - 5 6 6
2002年01月14日-19日 2002年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(ローザンヌ) 1 1 2 1
2001年12月14日-16日 ISUグランプリファイナル(キッチナー)[3] - 2 4 4
4
2001年11月14日-18日 ISUグランプリシリーズ ラリック杯(パリ) - 1 2 1
2001年11月08日-11日 ISUグランプリシリーズ スパルカッセン杯(ゲルゼンキルヒェン) - 1 1 1


2000-2001 シーズン


開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2001年03月17日-25日 2001年世界フィギュアスケート選手権(バンクーバー) 4 5 3 4
2001年02月15日-18日 ISUグランプリファイナル(東京)[4] - 3 4 4
2
2001年01月22日-27日 2001年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(ブラチスラヴァ) 1 3 2 2
2000年11月28日-12月03日 ISUグランプリシリーズ NHK杯(旭川) - 2 2 2
2000年11月23日-25日 ISUグランプリシリーズ ラリック杯(パリ) - 1 1 1
2000年11月07日-12日 ISUグランプリシリーズ スパルカッセン杯(ゲルゼンキルヒェン) - 1 1 1


1999-2000 シーズン


開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2000年03月26日-04月02日 2000年世界フィギュアスケート選手権(ニース) 1 1 3 3
2000年02月06日-13日 2000年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(ウィーン) 1 4 2 2
2000年01月13日-16日 ISUグランプリファイナル(リヨン)[5] - 3 3 3
1
1999年12月02日-05日 ISUグランプリシリーズ NHK杯(名古屋) - 2 2 1
1999年11月18日-21日 ISUグランプリシリーズ ラリック杯(パリ) - 1 1 1
1999年11月11日-14日 ISUグランプリシリーズ スパルカッセン杯(ゲルゼンキルヒェン) - 1 1 1


1998-1999 シーズン


開催日 大会名 予選 SP FS 結果
1999年03月21日-28日 1999年世界フィギュアスケート選手権(ヘルシンキ) 1 1 1 1
1999年03月04日-07日 ISUグランプリファイナル(サンクトペテルブルク) - 2 2 2
1999年02月06日-13日 1999年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(プラハ) 1 1 1 1
1998年11月20日-22日 ISUグランプリシリーズ ラリック杯(パリ) - 3 1 1
1998年11月12日-15日 ISUグランプリシリーズ スパルカッセン杯(ゲルゼンキルヒェン) - 2 3 3
1998年10月29日-11月01日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(デトロイト) - 1 1 1


1997-1998 シーズン


開催日 大会名 予選 SP FS 結果
1998年03月28日-04月05日 1998年世界フィギュアスケート選手権(ミネアポリス) 1 5 3 3
1998年02月08日-20日 長野オリンピック(長野) - 3 4 4
1998年01月10日-18日 1998年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(ミラノ) - 5 1 1
1997年12月19日-21日 ISUチャンピオンシリーズファイナル(ミュンヘン) - 2 3 3
1997年11月27日-30日 ISUチャンピオンシリーズ NHK杯(長野) - 1 2 2
1997年11月06日-09日 ISUチャンピオンシリーズ スケートカナダ(ハリファックス) - 2 2 2


脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ Мария Бутырская родила второго ребёнкаchampionat.com
  2. ^ Бутырская Мария Викторовнаfskate.ru
  3. ^ ISUグランプリファイナルはフリー演技を2度行った。
  4. ^ 順位決定方法については2000/2001 ISUグランプリファイナルを参照のこと。
  5. ^ 順位決定方法については1999/2000 ISUグランプリファイナルを参照のこと。

外部リンク

  • 国際スケート連盟によるマリア・ブッテルスカヤのバイオグラフィー(英語)
  • マリア・ブッテルスカヤ - Olympedia(英語) ウィキデータを編集
  • 欧州 男子シングル
  • 欧州 女子シングル
  • ペア
  • アイスダンス
  • 世界選 男子シングル
  • 世界選 女子シングル
  • 五輪 男子シングル
  • 五輪 女子シングル
  • 欧州 男子シングル
  • 欧州 女子シングル
  • ペア
  • アイスダンス
  • 世界選 男子シングル
  • 世界選 女子シングル
  • 五輪 男子シングル
  • 五輪 女子シングル

1905: ? Volkova  1911-1915: Ksenia Caesar  1993: マリア・ブッテルスカヤ  1994: オルガ・マルコワ  1995-1999: マリア・ブッテルスカヤ  2000-2002: イリーナ・スルツカヤ  2003-2004: エレーナ・ソコロワ  2005: イリーナ・スルツカヤ  2006: エレーナ・ソコロワ  2007-2008: クセニア・ドロニナ  2009: アデリナ・ソトニコワ  2010: クセニヤ・マカロワ  2011-2012: アデリナ・ソトニコワ  2013: エリザベータ・トゥクタミシェワ  2014: アデリナ・ソトニコワ  2015: エレーナ・ラジオノワ  2016-2017: エフゲニア・メドベージェワ  2018: アリーナ・ザギトワ  2019: アンナ・シェルバコワ

 
ISUグランプリシリーズ(1995-)
2020年NHK杯は非公認大会

1973-1974: リン・ナイチンゲール  1975: スザンナ・ドリアーノ  1976: キム・アレットソン  1977: リンダ・フラチアニ  1978: リサ=マリー・アレン  1979: 非開催  1980: エレイン・ザヤック  1981: トレイシー・ワイマン  1982: ビッキー・デ・ブリーズ  1983: カタリナ・ヴィット  1984: 伊藤みどり  1985: カリン・カダヴィ  1986: エリザベス・マンリー  1987: デビ・トーマス  1988: ナタリア・レベデワ  1989: クリスティー・ヤマグチ  1990: ジョゼ・シュイナール  1991: スルヤ・ボナリー  1992: マリア・ブッテルスカヤ  1993: 陳露  1994: クリスティーナ・チャコ  1995: ミシェル・クワン  1996: イリーナ・スルツカヤ  1997: ミシェル・クワン  1998: エレーナ・リアシェンコ  1999: ミシェル・クワン  2000: イリーナ・スルツカヤ  2001: サラ・ヒューズ  2002-2003: サーシャ・コーエン  2004: シンシア・ファヌフ  2005: アリッサ・シズニー  2006: ジョアニー・ロシェット  2007: 浅田真央  2008-2009: ジョアニー・ロシェット  2010: アリッサ・シズニー  2011: エリザベータ・トゥクタミシェワ  2012: ケイトリン・オズモンド  2013: ユリア・リプニツカヤ  2014: アンナ・ポゴリラヤ  2015: アシュリー・ワグナー  2016: エフゲニア・メドベージェワ  2017: ケイトリン・オズモンド  2018: エリザベータ・トゥクタミシェワ  2019: アレクサンドラ・トゥルソワ  2020: 非開催  2021: カミラ・ワリエワ  2022: 渡辺倫果  2023: 坂本花織

名称の変遷:スケートカナダ(1973-現在)/ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(1995-現在)

1979: リサ=マリー・アレン  1980: 非開催  1981: ビッキー・デ・ブリーズ  1982: ロザリン・サムナーズ  1983: ティファニー・チン  1984: 非開催  1985: デビ・トーマス  1986: ティファニー・チン  1987: 非開催  1988: クラウディア・ライストナー  1989: トーニャ・ハーディング  1990: クリスティー・ヤマグチ  1991: トーニャ・ハーディング  1992: 佐藤有香  1993: オクサナ・バイウル  1994: スルヤ・ボナリー  1995-1997: ミシェル・クワン  1998: マリア・ブッテルスカヤ  1999-2002: ミシェル・クワン  2003: サーシャ・コーエン  2004: アンジェラ・ニコディノフ  2005: エレーナ・ソコロワ  2006: 安藤美姫  2007: キミー・マイズナー  2008-2009: 金妍兒  2010: 村上佳菜子  2011: アリッサ・シズニー  2012: アシュリー・ワグナー  2013: 浅田真央  2014: エレーナ・ラジオノワ  2015: エフゲニア・メドベージェワ  2016: アシュリー・ワグナー  2017-2018: 宮原知子  2019: アンナ・シェルバコワ  2020: マライア・ベル  2021: アレクサンドラ・トゥルソワ  2022: 坂本花織  2023: ルナ・ヘンドリックス

名称の変遷:スケートアメリカ(1979-現在)/ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(1995-現在)

1987: ジル・トレナリー  1988: クラウディア・ライストナー  1989-1990: スルヤ・ボナリー  1991: 伊藤みどり  1992-1994: スルヤ・ボナリー  1995: ジョゼ・シュイナール  1996: ミシェル・クワン  1997: レティシア・ユベール  1998-2001: マリア・ブッテルスカヤ  2002-2003: サーシャ・コーエン  2004: ジョアニー・ロシェット  2005: 浅田真央  2006: 金妍兒  2007: 浅田真央  2008: ジョアニー・ロシェット  2009: 金妍兒  2010: キーラ・コルピ  2011: エリザベータ・トゥクタミシェワ  2012-2013: アシュリー・ワグナー  2014: エレーナ・ラジオノワ  2015: グレイシー・ゴールド  2016: エフゲニア・メドベージェワ  2017: アリーナ・ザギトワ  2018: 紀平梨花  2019: アリョーナ・コストルナヤ  2020: 非開催  2021: アンナ・シェルバコワ  2022: ルナ・ヘンドリックス  2023: イザボー・レヴィト

名称の変遷:ラリック杯(1987-2003)/ISUグランプリシリーズ ラリック杯(1995-2003)/ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(2004-2015)/フランス杯(2016)/フランス国際(2017-2021)/フランスグランプリ(2022-)
名称の変遷:富士フイルム杯(1986-1987)/ネイションズ杯(1989-1994)/ISUグランプリシリーズ ネイションズ杯(1995-1996)/
ISUグランプリシリーズ スパルカッセン杯(1997-2001)/ISUグランプリシリーズ ボフロスト杯(2002)/ボフロスト杯(2003-2004)