俊子内親王
俊子内親王(としこないしんのう、天喜4年(1056年) - 天承2年閏4月5日(1132年5月21日))は平安時代中期から後期にかけての女性。樋口斎宮と称された。
来歴
後三条天皇の東宮時代に第二皇女として生まれ、母は御息所藤原茂子。治暦4年(1068年)8月14日、父の天皇即位にともない、兄の貞仁(後の白河天皇)、姉の聡子、妹の佳子・篤子とならんで親王宣下を受けた。延久元年(1069年)2月9日伊勢斎宮に卜定され、延久3年(1071年)9月23日群行したが、翌延久4年(1072年)12月30日後三条天皇の譲位により斎宮を退下した。天承2年(1132年)閏4月5日、77歳で死去した。二品であった。内親王に仕えた俊子内親王家河内(前斎宮河内)はたびたび歌合に出詠した歌人であり、俊子内親王家大進も勅撰歌人である。
参考資料
- 『大日本史料』3編903冊、本朝皇胤紹運録
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内親王(飛鳥時代 - 江戸時代) | |||||
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大宝律令施行(701年)以後で、内親王と公称した人物とする。 | |||||
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