加地秀綱

加地 秀綱(かじ ひでつな、天文22年(1553年)? - 天正15年8月(1587年9月)は、戦国時代の武将上杉氏の家臣。加地春綱の子。母は上杉謙信の姉[1]なので、謙信の甥、上杉景勝の従兄弟にあたる。加地景綱の父。

略歴

加地氏揚北衆佐々木党

上杉謙信の姉の子で、謙信に従ってたびたび川中島の戦いに出陣して大功をたてた。謙信死後に起こった御館の乱では、上杉景虎についた。しかし、上杉景勝方の五十公野治長(後の新発田重家)と五十公野信宗に居城の加地城を急襲されて一旦は降伏した。

天正9年(1581年)、新発田重家の乱が起こると、これに加担してまたしても景勝に対抗した。景勝は新発田城攻撃に先立ち、天正15年(1587年)9月7日に加地城を攻め落とし、秀綱は戦死した。享年35。

脚注

出典

  1. ^ 系図纂要大日本史料、上杉三代日記、北越軍談より。


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