吉川光夫

吉川 光夫
栃木ゴールデンブレーブス 選手兼投手コーチ #18
第一次日本ハム時代(2009年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県福岡市東区
生年月日 (1988-04-06) 1988年4月6日(36歳)
身長
体重
178 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2006年 高校生ドラフト1巡目
初出場 NPB / 2007年5月17日
最終出場 NPB / 2021年4月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 栃木ゴールデンブレーブス (2022 - )
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

吉川 光夫(よしかわ みつお、1988年4月6日 - )は、福岡県福岡市東区出身のプロ野球選手投手)。左投左打。栃木ゴールデンブレーブス所属。

経歴

プロ入り前

1988年に福岡県で生まれる。東区の香椎第三中学校時代に所属していたボーイズリーグで全国大会3位まで勝ち進んだ。

高校は、県内の高校からの誘いもあったが、熟考の末に広陵高等学校へ進学。広陵では入学当初から期待されて2年生の春から背番号1を付けた。制球難で四死球を出すことが多かったが素質は高く評価され、同校野球部監督の中井哲之は、吉川について「入学当初から、『こういう子がプロに行くのだろうな』と思った」と後に雑誌のインタビューで言っている。甲子園出場経験はなく、3年生での全国高等学校野球選手権広島大会では、1学年下の野村祐輔小林誠司らを擁して優勝候補に挙げられたが、準決勝で制球を乱し井上晴哉ら擁する崇徳高等学校に敗れた[1][2]

2006年9月25日の高校生ドラフト会議にて、田中将大の交渉権獲得に失敗した北海道日本ハムファイターズから外れ1巡目指名を受け[3]、入団した。背番号は34

第一次日本ハム時代

2007年は、5月17日に初めて一軍に昇格し、同日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(東京ドーム)に中継ぎとしてプロ初登板すると、6月8日の東京ヤクルトスワローズ戦ではプロ初勝利を果たした。この試合は雷雨で降雨コールドゲームとなったため、「カミナリ王子」と呼ばれた。その後、八木智哉金村曉が故障で離脱したことで、その穴を埋める形で先発ローテーションに定着し4勝を挙げた[4]。さらに、日本シリーズ第4戦では、高卒新人としては中村大成稲尾和久堀内恒夫石井一久以来となる先発登板を果たした。

2008年は、開幕から先発ローテーションに入ったものの、7試合で2勝4敗、防御率6.23と結果を残せず、セ・パ交流戦前に登録抹消され、以降は一軍登板はなかった。

2009年は、開幕を二軍で迎えた。7月7日には結婚した[5]。9月に一軍昇格すると、投球回数を上回る奪三振数を記録したものの、シーズン未勝利に終わった。

2010年は、4月に登板した試合で炎上し、当時のチームメイトだったダルビッシュ有Twitterで名指しで批判された。その後、9月以降は中継ぎとして登板して、4試合で4回2/3を無失点に抑えた。

2011年は、開幕を二軍で迎えた。5月末に昇格したものの最少失点で抑えた試合でも打線の援護がないなどの不運も重なり、3年連続でシーズン未勝利に終わった。一方、二軍では好投を続け、イースタン・リーグ投手四冠王に輝いた。

2012年は、開幕から先発ローテーション入りし、4月1日の埼玉西武ライオンズ戦では黒星を喫したものの8回1失点と好投を見せ[6]、同8日の千葉ロッテマリーンズ戦では1438日ぶりの勝利を挙げた[7]。交流戦では内海哲也と並ぶトップタイの4勝を挙げ、防御率1.42と安定した内容でセ・パ交流戦 日本生命賞を受賞した[8]。6月5日の広島東洋カープ戦では3回に東出輝裕の頭部に当て危険球による退場処分を受けた。8月11日の西武戦では、ルーキーイヤー以来5年ぶりとなる完封勝利を自身初の無四球で飾る[9]と、次の登板である同17日のロッテ戦でも勝ち星を挙げ、自身初の2桁勝利を達成した[10]。最終的にはリーグ2位の14勝を挙げ、自身初のタイトルとなる最優秀防御率を獲得し、パ・リーグMVPに選ばれチームの優勝の原動力となるなど、前年までの不振を全て払拭したシーズンとなった。しかし、巨人との対戦となった日本シリーズでは一転して肘の痛みと変化球の制球に苦しみ、第1戦、第5戦と先発するが、レギュラーシーズンで3本塁打だったジョン・ボウカーに両試合ともに本塁打を打たれ、いずれも敗戦投手になった。

2013年は、チームトップの160回1/3を投げ、2年続けて先発ローテーションを守るも7勝に留まり、リーグワーストとなる15敗を喫した。

2014年は、自身初となる開幕投手に指名された[11]ものの、4試合で3敗と打ち込まれ二軍降格、シーズン初勝利を挙げたのは5月となった。この年は若手の上沢直之中村勝らのローテ定着もあってわずか3勝に留まり、規定投球回にも到達しなかったが、クライマックスシリーズでは福岡ソフトバンクホークス戦に登板し6回3失点で勝利投手となった[12]

2015年は開幕から勝ち星を重ねるなど好調で、7月16日に第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出されたことが発表された[13]。8月28日のソフトバンク戦では5回1/3を1失点の好投で3年ぶりの2桁勝利を達成した[14]。最終的に11勝8敗、防御率3.84の成績を残した。

2016年は8月まで先発ローテーションを守っていたが、不調で二軍落ちした。その後抑えのマーティンが負傷離脱したことでリリーフへ転向しプロ初セーブも記録した。最終成績は、27試合で7勝6敗3S、防御率4.19であった。クライマックスシリーズ日本シリーズでは登板がなかった。

巨人時代

巨人時代(2017年3月11日 ほっともっとフィールド神戸にて)

2016年11月2日に大田泰示公文克彦との交換トレードで石川慎吾と共に読売ジャイアンツへ移籍し、同日に巨人、日本ハム両球団より発表された[15]。これまで使用していた背番号34金田正一永久欠番のため使用できず、21となった。チームには同姓の吉川大幾がおり、またルーキーで吉川尚輝が入団したことから、スコアボードなどでは「吉川光」と表記される。

2017年は、開幕から先発ローテーションに入ったが、4月13日の広島東洋カープ戦では、1回1/3を投げて4失点と乱調で、4月17日に一軍登録を抹消された[16]。5月24日に一軍登録され、同日の阪神タイガース戦で先発するも、5回に鳥谷敬に頭部(顔面の右側部分)への死球を与え、自身2度目の危険球退場となった[17]。その後は、先発で勝ち星がないまま中継ぎへと回り7月に左肩痛のため二軍落ちした。一軍再昇格後の9月13日の阪神戦(甲子園)で先発し6回無失点で移籍初白星を記録した[18]。最終成績は、12試合の登板で1勝3敗、防御率5.87であった。

2018年も開幕から先発ローテーション入りを果たした。4月25日の中日ドラゴンズ戦では、5回2失点でシーズン初勝利を挙げ、中日戦初勝利と同時に、セ・リーグ全6球団から白星を挙げた。また、この試合では巨人は63年ぶりに1試合20得点を記録した[19]。シーズンでは先発と中継ぎを兼任し6勝を記録した。

2019年は、背番号を47に変更し左のセットアッパーとして期待されたが9試合で防御率9.95に終わった。巨人での最後の登板となった6月5日の楽天戦では、同点の8回裏に登板したが4球連続ボールで四球を与え即降板となった[20]

第二次日本ハム時代

2019年6月26日に鍵谷陽平藤岡貴裕との交換トレードで宇佐見真吾と共に日本ハムに移籍、3年ぶりにファイターズでプレーすることとなった。同日に日本ハム、巨人両球団より発表された。これは令和におけるNPB初のトレードによる移籍だった。背番号は交換相手の藤岡が着用していた56となった。

シーズンでは先発を任されたが、1試合だけリリーフ登板したのを含めわずか4試合の登板で勝ち星を挙げられなかった。

2020年は、開幕一軍入りし、リリーフで5試合に登板したが、7月6日に登録を抹消された。以降、一軍に再昇格することなくシーズンを終えた。

西武時代

2020年11月20日に金銭トレードで埼玉西武ライオンズに移籍することが西武球団から発表された[21]。背番号は43[22]。西武は左の中継ぎが不足していたことが獲得の理由とされる[23]

2021年は、開幕を一軍で迎え中継ぎとして起用された。しかし、4月6日の対楽天戦では1点ビハインドのまま、5回から2番手で登板したが1回8失点と炎上した[24]。同9日に一軍登録を抹消され[25]、その後は一軍登録のないまま10月25日、球団から戦力外通告を受けた[26]

このシーズンの二軍での成績は3勝0敗、防御率2.10、球速の平均は140km/h余りと本人は語っていた。痛み止めを飲みながらのプレーであったが、シーズン中に肩を故障した[27]

BCリーグ・栃木時代

2022年1月27日、BCリーグ栃木ゴールデンブレーブスに選手兼投手コーチとして入団することが発表された[28]。背番号は18。現役を続けた理由は、自分で投げた感覚が悪くないと思ったことにある[27]。2022年8月2日 対茨城アストロプラネッツ戦において9回 109球 被安打3 四死球1 奪三振9 で2012年9月28日以来、約10年振りの完封勝利を果たす。尚、9回を投げ切るのは2015年6月13日 対横浜DeNAベイスターズ戦以来となった。

2023年は、9試合(うち8試合は先発)に登板し、7勝1敗、防御率2.41だった。

選手としての特徴

オーバースローから平均球速約144km/h[29]、最速154km/hのストレートと落差のあるスライダー(パワーカーブとも呼ばれるが、本人はスライダーと認識している[30])、縦に割れるカーブを投げ分け[31]、稀にフォークチェンジアップも混ぜる[32]。ストレートを生命線としており、打者のタイミングを崩すことで取れる奪三振を重視するよりも、ボールの勢いでファウルを取れるような強いボールを投げることを意識しているという[33]。肩の不調により、西武から戦力外通告を受けた2021年時点ではストレートは球速135km/h程度しか出なくなっていたが、2023年時点では142km/hが出る程度には復調している[34]

2011年までは通算与四球率4.70と制球難に苦しんでいたが、2012年には与四球率2.33と改善。制球難を気にしすぎる余りに無駄な四死球を出して崩れるパターンが多かった。2012年に監督に就任した栗山英樹からオープン戦終了時に「(吉川は)いい投手だから厳しくいく。1年間は褒めない。今年ダメだったら(自分が)ユニホームを脱がせる」など厳しい言葉をかけられた[35][36]。また、「フォアボールは出しても良いから思い切り腕を振って投げろ」という言葉を実践することでその持ち前の球威が活き、「四球を出しても別にいい」と開き直ることや抑えることで身に付いた自信が制球力改善の要因になったと語っている[33]

打者としては、バントの技術が高い。2018年8月11日の広島東洋カープ戦では延長10回に代打として起用され、送りバントを成功させた。投手が代打として起用されたのは、ジャイアンツでは桑田真澄以来16年ぶり[37]

人物

ドラフト指名後の記者会見で、目標とする選手を聞かれ「金本さん二岡さん福原さん(3人とも広陵高校のOB)を足して2で割った選手」と答え、翌日の新聞で記者に「とぼけている」とのニュアンスで報道された。真意は「3人の力を3で割るよりも2で割ったくらいの力を併せ持つ選手になりたい」で、吉川なりの高い志が込められていた。

ゲーマーを自称しており、キャンプの持ち物にはゲームソフトを必需品としているという[32]。チームメイト内で几帳面と言われる榊原諒に「自分よりも几帳面」と言われた[38]

多くの選手を下の名前や愛称で呼ぶ栗山英樹(日本ハム時代の監督)から名字で呼ばれ続ける数少ない人物[39][40][41]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2007 日本ハム 19 15 1 1 0 4 3 0 0 .571 400 93.1 83 6 46 1 5 52 6 0 39 38 3.66 1.38
2008 7 7 0 0 0 2 4 0 0 .333 158 34.2 39 7 22 1 0 23 5 0 24 24 6.23 1.76
2009 3 3 0 0 0 0 2 0 0 .000 77 16.1 19 2 10 0 0 18 0 0 17 12 6.61 1.78
2010 9 5 0 0 0 0 4 0 0 .000 122 26.0 35 7 11 0 1 20 2 0 21 20 6.92 1.77
2011 7 7 0 0 0 0 5 0 0 .000 175 38.0 45 4 20 1 1 25 1 0 20 20 4.74 1.71
2012 25 25 5 3 2 14 5 0 0 .737 668 173.2 108 6 45 1 4 158 3 1 35 33 1.71 0.88
2013 26 26 1 0 0 7 15 0 0 .318 686 160.1 150 10 57 0 5 125 3 0 72 59 3.31 1.32
2014 13 13 0 0 0 3 4 0 0 .429 329 72.0 79 7 36 0 2 49 3 0 45 39 4.88 1.60
2015 26 26 2 0 0 11 8 0 0 .579 684 159.1 151 16 57 0 11 93 3 0 72 68 3.84 1.31
2016 27 20 0 0 0 7 6 3 0 .538 494 109.2 125 9 52 0 5 65 1 0 53 51 4.19 1.61
2017 巨人 12 8 0 0 0 1 3 0 0 .250 181 38.1 51 4 15 0 4 28 2 0 28 25 5.87 1.72
2018 22 18 0 0 0 6 7 0 0 .462 431 101.1 93 16 39 0 4 76 3 0 49 48 4.26 1.30
2019 9 0 0 0 0 0 1 0 3 .000 35 6.1 12 2 6 0 0 4 0 0 7 7 9.95 2.84
日本ハム 4 3 0 0 0 0 3 0 0 .000 50 10.2 11 2 7 0 0 8 0 0 8 8 6.75 1.69
'19計 13 3 0 0 0 0 4 0 3 .000 85 17.0 23 4 13 0 0 12 0 0 15 15 7.94 2.12
2020 5 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 24 5.1 5 0 4 0 0 1 1 0 2 2 3.38 1.69
2021 西武 5 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 26 4.1 8 1 6 0 0 0 0 0 8 8 16.62 3.23
通算:15年 219 176 9 4 2 55 70 3 3 .440 4540 1049.2 1014 99 433 4 42 745 33 1 500 462 3.96 1.38
  • 2021年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



投手












2007 日本ハム 19 3 18 0 0 1.000
2008 7 0 8 0 0 1.000
2009 3 0 2 0 0 1.000
2010 9 0 6 0 0 1.000
2011 7 3 10 0 0 1.000
2012 25 8 23 2 0 .939
2013 26 7 32 0 0 1.000
2014 13 3 13 0 0 1.000
2015 26 15 35 1 2 .980
2016 27 3 16 0 0 1.000
2017 巨人 12 1 6 0 0 1.000
2018 22 5 16 1 1 .955
2019 9 1 1 0 1 1.000
日本ハム 4 2 2 0 0 1.000
'19計 13 3 3 0 1 1.000
2020 5 1 2 0 1 1.000
2021 西武 5 0 0 0 0 ----
通算 219 52 190 4 5 .984
  • 2021年度シーズン終了時

タイトル

  • 最優秀防御率:1回(2012年)

表彰

記録

初記録
投手記録
打撃記録
  • 初安打・初打点:2013年5月30日、対広島東洋カープ1回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、7回表に今井啓介から中前適時打
節目の記録
  • 1000投球回:2018年8月29日、対広島東洋カープ21回戦(東京ドーム)、3回表二死目に九里亜蓮を二ゴロで達成 ※史上351人目
その他の記録
  • オールスターゲーム出場:3回(2012年、2013年、2015年)

独立リーグでの年度別投手成績





















































W
H
I
P
2022 栃木 10 9 1 1 0 5 3 0 0 .625 229 53.1 57 8 16 - 5 41 4 0 29 29 4.89 1.37
2023 9 8 0 0 0 7 1 0 0 .875 175 41.0 36 5 13 - 2 28 2 0 15 11 2.41 1.20
通算:2年 19 17 1 1 0 12 4 0 0 .750 404 94.1 93 13 29 - 7 69 6 0 44 40 3.82 1.29
  • 2023年度シーズン終了時

背番号

  • 34(2007年 - 2016年)
  • 21(2017年 - 2018年)
  • 47(2019年 - 2019年6月27日)
  • 56(2019年6月28日 - 2020年)
  • 43(2021年)
  • 18(2022年 - )

登場曲

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ “97校、16日間の軌跡 広島大会振り返って”. 朝日新聞デジタル (2006年7月30日). 2014年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月25日閲覧。
  2. ^ “2013年プロ野球ドラフト 井上 晴哉”. スポニチ Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 2013年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月17日閲覧。
  3. ^ “田中は抽選で楽天に交渉権 プロ野球高校生ドラフト”. 共同通信 (2006年9月25日). 2014年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月27日閲覧。
  4. ^ “吉川選手結婚のお知らせ”. 10代の日本シリーズ出場選手たちとその後 (2017年11月6日). 2022年3月14日閲覧。
  5. ^ “吉川選手結婚のお知らせ”. 北海道日本ハムファイターズ (2009年8月13日). 2021年7月12日閲覧。
  6. ^ “吉川好投も無援…日本ハム 50年ぶり快挙ならず”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年4月2日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/04/02/kiji/K20120402002957750.html 2013年4月25日閲覧。 
  7. ^ ““斎藤世代”吉川1438日ぶり白星!連敗12で止めた”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年4月9日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/04/09/kiji/K20120409003007190.html 2013年4月25日閲覧。 
  8. ^ a b “吉川 100万円ゲット!6年目 1軍で初の表彰”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年6月22日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/06/22/kiji/K20120622003518910.html 2013年4月25日閲覧。 
  9. ^ “吉川 1857日ぶり完封!吹っ切れた栗山監督の言葉”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年8月12日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/08/12/kiji/K20120812003888440.html 2013年4月25日閲覧。 
  10. ^ “吉川 初の10勝 制球苦しみ6回110球も粘投”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年8月18日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/08/18/kiji/K20120818003925960.html 2013年4月25日閲覧。 
  11. ^ “日本ハム開幕投手は吉川!栗山監督、1年前に通告していた”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2014年2月25日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/02/25/kiji/K20140225007659110.html 2014年12月14日閲覧。 
  12. ^ “ハム吉川 意地の好投6回を3失点「普段通りの投球ができた」”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2014年10月18日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/10/18/kiji/K20141018009122760.html 2014年12月14日閲覧。 
  13. ^ “トップチーム第一次候補選手発表!11月に行われる「WBSC世界野球プレミア12」へ向けて65名が名を連ねる”. 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年7月16日). 2015年8月4日閲覧。
  14. ^ “日本ハム田中賢介が満塁弾、吉川3年ぶり2桁10勝”. 日刊スポーツ (2015年8月29日). 2021年4月25日閲覧。
  15. ^ “日本ハム移籍の巨人・大田、公文がコメント「北海道で活躍する姿見て」”. スポニチアネックス. (2016年11月2日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/11/02/kiji/K20161102013648620.html 2018年12月19日閲覧。 
  16. ^ “巨人・吉川が二軍落ち、先発登板のチャンスを生かせず…17日のプロ野球公示”. BASEBALL KING (2017年4月17日). 2021年4月25日閲覧。
  17. ^ “巨人・吉川光、セ今季初の危険球退場…「抜けてしまった」”. SANSPO.COM (2017年5月25日). 2018年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月25日閲覧。
  18. ^ “巨人吉川光6回0封で移籍後初勝利「遅くなって…」”. 日刊スポーツ (2017年9月13日). 2021年4月25日閲覧。
  19. ^ “【巨人】2イニング連続打者一巡 63年ぶり20得点 吉川光、今季初勝利…中日戦経過”. 日刊スポーツ (2018年4月25日). 2021年4月25日閲覧。
  20. ^ “巨人宮本コーチ「正直残念」吉川光夫、鍬原に苦言”. 日刊スポーツ (2019年6月5日). 2021年4月25日閲覧。
  21. ^ “西武 日本ハム・吉川を金銭で獲得と発表 辻監督「喉から手が出るほど欲しかった」”. スポニチアネックス (2020年11月21日). 2021年4月25日閲覧。
  22. ^ “西武移籍の吉川が入団会見、通算55勝左腕「チャンスだと思って頑張る」、背番号は43”. スポニチアネックス (2020年11月27日). 2021年4月25日閲覧。
  23. ^ “左腕不足の西武が日本ハム吉川を獲得 金銭トレードを発表、MVP12年は西武戦で2完封”. 西日本スポーツ (2020年11月20日). 2021年12月12日閲覧。
  24. ^ “西武・吉川が誕生日に大炎上 1回0/3を7安打3四球で8失点”. SANSPO.COM (2021年4月6日). 2021年4月6日閲覧。
  25. ^ “西武が吉川光夫と上間を抹消、十亀と武隈が1軍昇格”. 西日本スポーツ (2021年4月9日). 2021年4月9日閲覧。
  26. ^ “西武吉川光夫、綱島龍生ら8人が戦力外 伊藤翔ら4人は育成再契約見込み”. 日刊スポーツ (2021年10月25日). 2021年10月28日閲覧。
  27. ^ a b 「予想通り」の戦力外通告 元MVPのベテラン左腕が独立リーグに身を投じた理由 (1/2ページ) Full-Count 2022.04.09 (2022年4月9日閲覧)
  28. ^ “前西武・吉川光夫がコーチ兼任でBC栃木入団「勝ち試合を見せられるように」”. Full-Count (2022年1月27日). 2021年1月27日閲覧。
  29. ^ 『2013 プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2013年、108頁頁。ISBN 978-4-905411-11-6。 
  30. ^ “吉井理人「斎藤佑樹は二軍に落とすべきではなかった」”. web Sportiva (2012年11月25日). 2021年4月25日閲覧。
  31. ^ “吉川、初対戦でG斬り ハム交流戦逆転Vへ望み残った”. スポニチ Sponichi Annex (2012年6月15日). 2012年8月6日閲覧。
  32. ^ a b 『週刊プロ野球データファイル』2012年85号、ベースボール・マガジン社、雑誌27203-12/19、5-6頁。
  33. ^ a b 真剛腕伝説II 吉川光夫『週刊ベースボール』2012年29号、ベースボール・マガジン社、雑誌20441-7/2、14-16頁。
  34. ^ 羽鳥慶太「戦力外から2年…元MVPが投げ続ける理由 見据える新たな"挑戦"「社会科見学をしたい」」『Full-Count』、2023年7月18日。2023年10月16日閲覧。
  35. ^ “【プロ野球】防御率No.1、吉川光夫(日本ハム)『6年目の覚醒』のワケ”. web Sportiva (2012年6月23日). 2021年4月25日閲覧。
  36. ^ “アスリートファイル 「ユニフォーム脱がせる」監督の言葉に奮起 日本ハム・吉川光夫投手”. MSN産経west (2012年7月23日). 2012年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年8月6日閲覧。
  37. ^ “巨人、桑田以来投手16年ぶり代打吉川光夫”. 日刊スポーツ (2018年8月12日). 2012年8月12日閲覧。
  38. ^ FFFFFのひちょりのキャンプ日記より
  39. ^ “選手の呼び方に見える監督の「考え方」 名前で呼ぶ栗山監督の真意は”. スポニチ Sponichi Annex (2015年10月3日). 2021年9月28日閲覧。
  40. ^ “栗山監督「ヒロミは岡ちゃん」ドラ1伊藤をヒロ呼び”. 日刊スポーツ (2021年1月19日). 2021年9月28日閲覧。
  41. ^ “【文春野球学校】偏愛選手名鑑2021 埼玉西武ライオンズ”. 文春野球学校 (2021年3月20日). 2021年9月28日閲覧。

関連項目

外部リンク

  • 個人年度別成績 吉川光夫 - NPB.jp 日本野球機構
  • 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube、MLB
栃木ゴールデンブレーブス 2024
監督
コーチ
  • 17 成瀬善久(ヘッド、選手兼任)
  • 18 吉川光夫(投手、選手兼任)
  • 22 内山太嗣(バッテリー)
投手
  • 11 堀岡俊人
  • 12 竹本徹
  • 14 マロスティカ
  • 17 成瀬善久(コーチ兼任)
  • 18 吉川光夫(コーチ兼任)
  • 19 齊藤鳳人
  • 20 中村拓馬
  • 26 中山貴史
  • 30 堀越歩夢
  • 31 峯村誉範
  • 34 塚越伊織
  • 41 西本力
捕手
  • 4 出原康希
  • 27 田代優翔
  • 28 須永峻亮
内野手
  • 2 清水武蔵
  • 6 関照永
  • 7 串間一穂
  • 8 小野勝利
  • 15 コウチーニョ
  • 33 伊藤翔哉
  • 36 菅野秀斗
  • 52 川﨑宗則(テクニカルアドバイザー兼任)
外野手
練習生
  • 0 田代優晟(外野手)
  • 13 嶋田航(投手)
  • 16 高岸宏行(投手)
  • 21 入江空(投手)
  • 32 熊倉柚(投手)
  • 35 横尾潤(投手)
  • 44 張為瀚(内野手)
 
業績
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
  • 20-21 中止
パシフィック・リーグMVP
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
パシフィック・リーグ ベストナイン(投手)
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
パシフィック・リーグ最優秀防御率
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
北海道日本ハムファイターズ開幕投手
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
投手 - 捕手
北海道日本ハムファイターズ - 2006年ドラフト指名選手
大学生・社会人
高校生