小林亀久雄

小林 亀久雄(こばやし きくお、1894年明治27年)1月16日[1] - 1941年昭和16年)10月9日[2])は、日本外交官。駐アフガニスタン公使

経歴

山梨県中巨摩郡明穂村(現・南アルプス市)出身[1]1918年大正7年)、高等試験に合格[3]。翌年、東京帝国大学法学部法律科を卒業し、農商務属となった[3]1920年(大正9年)に外務省に転じ、外務事務官国際連盟事務局事務官、外務省条約局勤務、フランス大使館三等書記官、同二等書記官、チェコスロバキア公使館二等書記官を歴任[3]1933年(昭和8年)、外務省条約局第一課長となり、1936年(昭和11年)に通商局総務課長に転じた[3]。さらにベルギー大使館参事官ジュネーブ総領事兼国際会議帝国事務局次長を経て、1941年(昭和16年)4月に駐アフガニスタン公使に任命された[4]

栄典

脚注

  1. ^ a b 『帝国人事大鑑 昭和11年版』帝国日々通信社、1935年、補遺68頁。
  2. ^ 「故特命全権公使小林亀久雄位階追陞ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11115135300 
  3. ^ a b c d 人事興信録 第12版(上) 1939.
  4. ^ 人事興信録 第13版(上) 1941.
  5. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第12版(上)』人事興信所、1939年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版(上)』人事興信所、1941年。 
先代
柳井恒夫
国際会議帝国事務局次長
1940年 - 1941年
次代
廃止
日本の旗 在アフガニスタン日本公使 (1941年) アフガニスタン王国の旗
公使(カーブル常駐)
  • 公使館開館1934
  • 北田正元1934-1938
  • 守屋和郎1938-1940
  • 小林亀久雄1941
  • 七田基玄1942-1945
  • 公使館閉鎖1945
  • 公使館再開1954
  • 公使未赴任1954-55
  • 大使館昇格1955
大使(カーブル常駐)
大使(非常駐)
  • 大使館臨時事務所開設2021
  • 岡田隆2021(イスタンブール)/2021-2022(ドーハ)
  • 大使館臨時事務所閉鎖2022
大使(カーブル常駐)
  • 大使館再開2022
  • 岡田隆2022-2023(2023年以降も引き続き大使の地位を維持)
  • 黒宮貴義次期大使2023-
カテゴリ カテゴリ
日本の旗 在ジュネーブ日本総領事 (1940年 - 1941年)
総領事兼国際会議事務局次長
総領事
出張駐在官事務所長
  • 菅沼健一2010-2012
  • 岡田隆2012-2014
  • 領事事務所に改称2014
領事事務所長