山本武雄
山本武雄 九段 | |
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名前 | 山本武雄 |
生年月日 | (1917-01-05) 1917年1月5日 |
没年月日 | (1994-07-25) 1994年7月25日(77歳没) |
プロ入り年月日 | 1941年1月1日(23歳) |
引退年月日 | 1968年(51歳) |
棋士番号 | 27 |
出身地 | 富山県 |
所属 | 将棋大成会 →日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 金易二郎名誉九段 |
段位 | 九段 |
棋士DB | 山本武雄 |
戦績 | |
一般棋戦優勝回数 | 1回 |
順位戦最高クラス | B級(4期[1]) |
2017年8月21日現在 | |
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山本 武雄(やまもと たけお、1917年1月5日 - 1994年7月25日)は、富山県出身の将棋棋士。金易二郎名誉九段門下。棋士番号は27。
執筆活動では「山本陣太鼓」のペンネームを使用[2]。
経歴
1933年、金に入門する。同門には高柳敏夫がいる。三段時代の1940年、将棋大成会(日本将棋連盟の前身)から第1回「模範棋士」の表彰を受ける。
1941年に四段昇段(プロ入り)し、順位戦には第1期(1946年度)から参加。第3期にC級が1組と2組に分かれるにあたって、第2期(1947年度)C級順位戦で上位の成績を挙げ、次期C級1組在籍となり六段昇段。さらに、第3期(1948年度)C級1組順位戦で6勝3敗(10人中2位)の成績でB級昇級を決め、2年連続昇段で七段となる。第6期(1951年度)順位戦B級では6勝6敗の指し分けで第7期でB級1組在籍となるが、第7期では5勝7敗の成績ながら、次期のB級1組定員削減のためB級2組へ降級する。
1953年、第1回「B級選抜トーナメント」で優勝。
第21期(1966年度)・第22期(1967年度)のC級1組順位戦で2期連続降級点を喫したところで、C級2組で指さず、1968年に引退。同年、八段の段位を贈られ、永年勤続棋士表彰も受ける。
日本将棋連盟理事を長く務めた。
第14回(1987年)将棋大賞で東京将棋記者会賞を受賞(同賞制定から8人目)。1992年には、春の叙勲で勲五等双光旭日章受章。そして、1993年、九段に推され、七段以下で引退した棋士として史上初めて九段に昇段するが、翌1994年に肺炎のため死去した。享年77。
昇段履歴
- 1933年00月00日:入門
- 1937年00月00日:初段
- 1941年01月01日:四段 = プロ入り
- 1944年00月00日:五段
- 1948年04月01日:六段(順位戦C級上位)
- 1949年04月01日:七段(順位戦B級昇級)
- 1968年00月00日:引退[3]
- 1968年05月24日:八段(贈八段)[3]
- 1993年11月17日:九段(贈九段、将棋の日表彰)
棋戦優勝
- B級選抜トーナメント(1953年年度=第1回)
著書
- 『将棋百年』時事通信社、1966年。(599ページ)
- 改訂増補版「将棋百年」(673ページ、1970年、時事通信社)
- 改定新版「将棋百年」(822ページ、1976年、時事通信社)
脚注
出典
- 平成10年版「将棋年鑑」(日本将棋連盟)pp.517 - 518
関連項目
外部リンク
- 山本武雄|棋士データベース|日本将棋連盟
三社杯B級選抜トーナメント 優勝 1回 | |
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優勝者 | |
関連項目 | |
1958年(第6回)で終了。王位戦へ移行。 |
東京記者会賞 受賞 1回 | |
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1980年代 | |
1990年代 | |
2000年代 | |
2010年代 | |
2020年代 | |
第8回(1982年)より創設 |
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