忌部鳥麻呂
凡例 忌部鳥麻呂 | |
---|---|
時代 | 奈良時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 登理万里 |
官位 | 従五位上信部少輔 |
主君 | 孝謙天皇→淳仁天皇→称徳天皇 |
氏族 | 忌部宿禰 |
テンプレートを表示 |
忌部 鳥麻呂(いんべ の とりまろ)は、奈良時代の貴族。名は登理万里とも書く。姓は宿禰。官位は従五位上・信部少輔。
経歴
天平7年(735年)親族の忌部虫名と共に祭祀権を巡って中臣氏と争い、伊勢幣帛使となることに成功した[1]。天平21年(749年)民部卿・紀麻呂らと共に伊勢大神宮に幣帛を奉納し、従五位下に叙せられる(この時の官職は神祇少副)。
その後、孝謙朝では典薬頭・木工助を務め、淳仁朝では木工助・信部少輔を務める。天平宝字8年(764年)正月に従五位上に叙せられるが、同年9月に発生した藤原仲麻呂の乱に連座し位記を奪われたらしい。天平神護3年(767年)罪を赦され、本位(従五位上)に復している。
官歴
- 時期不詳:正六位上。神祇少副
- 天平21年(749年) 4月5日:従五位下
- 天平勝宝6年(754年) 7月13日:典薬頭
- 天平勝宝9歳(757年) 7月8日:信濃守
- 天平宝字5年(761年) 10月1日:木工助
- 天平宝字7年(763年) 正月9日:信部少輔
- 天平宝字8年(764年) 正月7日:従五位上。日付不詳:无位
- 天平神護3年(767年) 7月5日:従五位上(復位)
脚注
[脚注の使い方]
- ^ 『続日本紀』天平7年7月27日条