横山玄位

横山 玄任(よこやま はるたか、明暦元年(1655年) - 延宝9年6月16日(1681年7月30日))は、加賀藩家老。加賀八家横山家第5代当主[1]

父は加賀藩家老横山忠次。母は岡山藩家老日置忠治の養女(実父日置忠隆)。弟は横山任風。正室は奥村庸礼の娘。幼名は三郎。通称は大膳。

生涯

明暦元年(1655年)、加賀藩家老横山忠次の次男として金沢に生まれ、江戸で幕府の証人を勤める。延宝元年(1679年)、忠次の死去により家督を相続する。弟の任風は1500石で分家する。延宝9年(1681年)、加増を受け知行3万石となる。同年6月16日、病により京都で療養中に死去した。家督は任風が相続した。

脚注

  1. ^ 「加賀八家「殿様」たちの末裔 藩主支えた絆 旧男爵家の誇りは今も」『月刊北国アクタス』2014年8月号

参考文献

丸の内万字紋加賀八家横山家第5代当主(1679年 - 1681年)

長隆 - 長知 - 康玄) - 忠次 - 玄位 - 任風 - 貴林 - 隆達 - 隆従 - 隆盛 - 隆章 - 隆貴) - 隆平 - 隆俊 - 隆良 - 隆昭