胡宗憲

胡宗憲

胡 宗憲(こ そうけん、1512年11月4日 - 1565年11月25日)は、中国明代の武将。字は汝貞、号は梅林。は襄懋。

徽州府績渓県で生まれる。1538年科挙に合格、1553年に御史となり、趙文華・厳嵩の下で働き、北方防備などを務める。

直隷巡按・湖広巡按・浙江巡按となり、朱紈・戚継光兪大猷らとともに中国沿岸部で密貿易などを行っていた倭寇(後期倭寇)の討伐を行う。1556年には倭寇の頭目であった徐海を下し、1557年には同郷であった王直を懐柔して逮捕する。胡宗憲は王直の助命と海禁政策の緩和を嘆願するが、明の官僚の命で王直を処刑する。

王直逮捕の功績で太子太保となるが、福建で倭寇の活動が活発になると結託を疑われ逮捕され、獄中で自殺。

『籌海図編』の編者とされることがあるが、誤りである[1]中国共産党総書記胡錦濤は末裔とされる。

脚注

  1. ^ 広く流布したのは天啓本であるが、天啓本は編者を胡宗憲として鄭若曽の名前を隠しているため、編者に関する誤解を広めた。

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