高橋祐子

曖昧さ回避 高橋幸子」とは別人です。

高橋 祐子(たかはし さちこ、1930年昭和5年〉 - 2017年平成29年〉)は、日本童謡歌手[1]

経歴

東京出身[1]

1939年(昭和14年)、作曲家の佐々木すぐるの門下でデビューした[1]。未成年だった彼女は、親権者の父親と連名で、レコード会社の日本蓄音器商会と契約を交わした[1]童謡歌手として活動し、「めんこい子馬」や「やさしい親鷲」などの楽曲を吹き込んだ[1]

1944年(昭和19年)、千葉県へ疎開し、音楽活動を休止した[2]。その後、東洋音楽学校で学んだ[2]。戦後は音楽活動を再開せず、千葉県で保育所を運営した[1]。佐々木は、門下生が集う同窓会の席で「祐子が歌い続けていれば美空ひばりを超えた」と語ったと伝えられている[2]

2017年(平成29年)、死去[2]。86歳没[2]

脚注

  1. ^ a b c d e f “戦時中に童謡歌手とレコード会社が交わした契約書とは? 「10倍払い」など歌手側に不利な内容 遺品から見つかる”. 東京新聞 (2022年9月26日). 2024年4月7日閲覧。
  2. ^ a b c d e “元天才歌手のひと言で気付いた「自分が誰かを戦地に駆り出したかも」 贖罪の念を胸に反戦を訴える”. 東京新聞 (2022年8月22日). 2024年4月7日閲覧。

外部リンク

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